コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

「楽に生きる究極は・・・ なんて事を書いてみるか(笑)」^^

3人寄ると文殊の知恵 ん?誰やねん それ じゃなくて 派閥が生まれる、とは聞いていたが・・・


を、今 ん?今更ながら この年齢になって経験するとは(笑)


やっぱ人、ってわかりやすいようで、わかりにくい生き物なんだと思っ いや、悟った。


何で?としか思えないんだが。 は、さておき まぁそうしたい気持ちはわからないでもない、か ^^


でも だが、え〜と とはしたら ん?そこは拘るとこじゃなくて良いんじゃない? 確かに(笑) 

難しくならない? いろんなことが?いろんなとこで? を、思う私なんですが。


余計な気を使わなくちゃいけないし 自分を圧し殺す場面だって出てくるし なんて考えたら 難しくない、っていうか面倒くさくない? 


人生を難しくするのも、簡単にするのも 結構自分の中にあること、っていうのは多くて 仕事なんかにしても、人間関係なんかにしても 何処まで簡単に済ませていけるか、ってのが私の中にはある。


若い時からか、と問われたら 答えは No 何故かの英語だが(笑) 時流に乗って何故か 何百人の組織の上に立った時に、たまたまならされちゃった?時に いろんな人間関係の泥沼(笑)の中にいた時に学んだことの一つ。


学んだ、というよりも そうならざるを得なかった、こちらの表現の方が近いかな、現実には。


通常の組織体なら何百人となると各セクション毎にいる中間職 部長さんとか、課長さんとか、係長さんとか、主任さんとか だが私の場合 ちょい特殊で遊園地業界。


思い浮かべて欲しいのが、園長さんがいて 基本的には運営側とメンテナンス側に別れている、は 何となくイメージ出来る、と思う。


その長はいるが そこから細分化は中々にされない現実がある。

となると 園長にかなりな部分で、現場に置ける判断、決済は集中する。


ここにいると・・・ ならされちゃうと という表現 なりたいと思ってなくて、たまたまだから(笑)

まぁそれを受けたんだろ、は あるにしても そこはノリで にしても なっちゃったらやるっきゃない。できる限りなことは、だが。


と、なったら 考えることは大体2つ。

保身 いわゆる手放したくない権力 と周りに自分にとって楽な方々を置いときたい だと思ってます ^^


と、書いたら 悪いことなんじゃない?と取られがちだが そうでもないんじゃない、と思ってて だから頑張れる、であるし だから意思統一が楽になるんじゃない、ってことがある。


勿論マイナスの要因として 見苦しい ってのと もし、私が間違ってた時に正してくれる人がいないんじゃない? っていう 裸の王様状態になる可能性が否定出来ない、ってとこ。大きなポイントとしては。


だから 長く一所にいなかった、であり 私の意見に反発する人を常に何人かは入れて 重宝していた。 勿論視点が、感性が違う女性も入ってもらっていたし、年上 それもかなり な、方にも入ってもらっていた。


ここでも書いてますが 違う視点、感性 っていうのは大事なポイントで 聞く価値はある、自分からは出てこない意見が聞ける、ってのも 一つの真理。認めなきゃ。


を、たまたま?若い頃にその位置にいたから 思ったこと。

そこにあった思考は、怖かったから に他ならない。 良いのかな、これで この判断で に答えが出るのは先 近未来で。

だが その怖さ に対抗出来るのは 後押ししてくれる方々がいてこそ。良いよね、これで が、あったこそ。


それしかなかった、ってのが本音 ^^


そこで 常に考えてたのが、最終的に考えついたのが 如何に簡単に出来るか、だった。

どんな事に対しても。


遊園地業界だった、ってのも合わさって そこに楽しく、が加わった訳ではあるが(笑)

それは ここを見てもらったらわかる、かな?


複雑なことに出会すこと、ってのが人生にはつきものではあるが、如何に簡単に出来るのか を、複雑に考える 何か違わない? ってのもあるが そこを目指す。で、どうしたら自分が、相手が楽しくなれるかな が究極の目標 ^^


だから という訳でもないが いらない派閥 に行きつく。長い話しになってるがな、は 置いといて(笑)


一言で表すなら 面倒くさいから。

必要でも無さそうなことに力は入れない、使わない。

何故なら そっちが楽だから。という単純な理由。


周りを見たら あるのよね、こういうことって。普通に。

疲れないのかな、って感じるんだが


もっと楽に生きればいいのに。


なんてのをふと想う 爺だった(笑)


また ^^