コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

「ある有名人の悲報 そして連鎖」

夜中に来たラインメッセージ。


「リスカしてええか?」


最近かなり親しくなってる方から。

それは何の前触れもなく飛び込んできた。

こういう時 どんな言葉が適切なのか、がわからない。慌て、混乱する頭。

しかも時間は多分そんなには無いんじゃない?だ。


頭の中は、どうしよ、どうしたら良い? 

だが、理由によって対応は変わるか? を思い 聞いてみる、答えて、を祈りながら

どした? そして 何があった?

返ってきたメッセージ。に一先ず ホッ 

そこまでの激情では無いんじゃない?という想像。

「昨日亡くなられた沙也加さん」

「私なんかが 生きてていいんか」


という文面。

そこか、なら 先ずその思考を外さなきゃ、に送るメッセージ。どこまで論理的であるか、と感情に訴えれるかのバランスが試される気がした。それが適切なのかどうか、はわからない。それは今でも。


いくつかのやり取り まぁ私から、がほとんど ではあるが。


いくつかのやり取りの後に返ってきた

 「ありがとう」に届いたか、の安堵。


で、ボソッと返ってきたメッセージは


「シンクロするねん」


そっか 想いがそこに共有されるんだ。に初めて出会った。

で、少し納得出来た。


何故有名人のこういった訃報に連鎖が生まれれるのか、という理由が。


そこに疑問を感じてはいたが どこか他人事でもあった私、そして何で、を理解は出来なかった。しようとはしなかった、がホンネか。


ワイドショーなんかでは 扱うんだろう。視聴率が取れるから。

が、そこにある、至る「何か」は、想像であり 憶測でしかない。それは本人にしかわからない。


一つ思うことがあって、その報道は必要なのか? ってこと。今だから感じること、わかったこと。


もし その報道が繰り返された時に、引き金にならないのか?を思わずにはいられない。


何の為に? の目的がよくわからない。

最後に流れる命の電話?だったか は、いかにも取ってつけてない? 要は自殺防止の為に 掘り下げてます、やってますから、を作ってない?


今回これを何故挙げよう、と思ったのかと言うなら その興味本位?な報道姿勢 そこにある視聴率稼ぎ は、違うよね であり報道規制じゃないの? を感じたから。


その誰かわからん命の電話とやらに かける人はどれだけいるんだろう、を思う私。


そこに必要なのは 信頼感であると思うし安心感。

その対応一つで その命は、どちらに行くのか、はわからない。

対応されてる方々のスキルは高いんだろう。

それはわかる。理解しているが。


が、そこをその絶望感の淵で選ぶ人はどれだけいるんだろう、を思わずにはいられない。


皆さん方のブログにもこの話題は、いくつか散見された。

そこに至る前に 誰かに声を挙げたら、確かにそう思う。

その誰か、がいる人はいい。止めるチャンスが残されている、ということ。


が、果たして この殺伐とした社会感が蔓延してる中で その誰か、を持っている方はどれぐらいいるんだろう。


初めての体験から得たものは、緊迫感と安堵、そして一つの実経験。それは結果が伴ったからこそ。

自信になった、とは 言えないし、なれないもの。


失敗は、許されないから。

二度目は、無いんだから。


そんな経験で、一つ嬉しかったことがある、とするなら そこで私を思い出してくれたこと。それだけ 


また ^^