「五輪が見せる社会の現在地」(^_-)
一日中シビれる試合の連続 やってる訳でもないが疲れた(笑)
野球、サッカー、そしてバレーボール 球技ばっかかよ、はナイショ ^^
TV画面の前で その途中経過に一喜一憂 手に汗握りながら、ここぞの場面でガッツポーズ 単なる怪しい爺と化してない? は、置いといて
ここまで17個の金メダル 過去最多、らしい。
盛り上がってんのか、盛り上げちゃいけないのか、なビミョーな社会の雰囲気の中で頑張ってる ん?結果を出してる? アスリートの方々には頭が下がる、そんな感じかな。
インタビューにもそれは表れていて異口同音に語られるのは
このコロナ禍に開催されたことを感謝します。 というもの。
その心中は複雑なんだろうな、が感じられるし その場所があることに感謝が先ずはくるんだろうな。泣ける ^^
やっと、なのか もう、なのか一週間が終わったところで様々な「こと」が取り沙汰されている。
それは競技とは違うフィールドで、それは世界で。
アスリートに対する中傷ツイート、アスリートの家族に対する記者のおっかけ問題、バブル方式の穴探し、そして人権問題、拡大し続ける新規感染者確認数、とそのジャンルは多岐に渡っている。
国際的なイベントである五輪は世界各国を巻き込んで様々な議論を生んでいる。
このタイミングで開催された五輪は 世界の縮図、社会の縮図の様相を呈してるよな、を感じている。
人種差別しかり、男女差別しかり、思想差別しかり、大会ビジョンである「多様性と調和」 その課題が浮かび上がってきている。
そして最も悲しむべきは その開催国である日本自体が実は遅れてない? を露呈していること。 ここかな。
各国から集まったアスリート達、メディアの方々。
肌身で感じる日本人のおもてなし、その裏側にあるその旧態依然とした組織、そして社会。
変わらない社会、を見せているんだと思う。
果たしてこの五輪が終わり その総括が行われるとして、投げかけられた問いに対する答えを見つけにいく社会に、向き合う社会に変わっていくんだろうか。
そうあって欲しいな、と思うし 出来るとも思う。簡単なことではないが。
そこに必要なのは ・・・何だろう 認め合う事?!
試合に敗けた相手が勝者を認めるように、お互いがリスペクトしているように。
そんな事をふと感じる最近。
一つ言うなら 競技が有り過ぎて忙し過ぎる、ってのと さすがに見過ぎてお腹いっぱいになってき あっ(笑)
また ^^
暑すぎる夏の真っ只中 皆様お身体にはお気をつけて。
良い週末を ・・・
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