コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

「〜貴方〜を創る為に必要なこと、そして必要無いもの」(^_-)

世の中に蔓延る強制的な意識付け。時としてそれは貴方の為に、という言葉を伴ってやってくる。


以前にも挙げたが いわゆる「普通に」 という言葉。が、何を持って普通なのか、は定義されない。

多分 何かが違うんだろう。


が、時に表現は変わる。「個性」という言葉に。それに必要なのは誰かが認めてくれた時。自分の中から生まれる表現ではない。


貴方は時に迷い込む。普通じゃない私に。普通じゃなさそうな私 に誘導されていく。

行き着く先は自信の持てない自分自身。違うんだろうか、な私に。


出口は中々に見出しにくい。何故なら、迷い込んでいるから。

臆病になっている自分が踏み出そうとする一歩は 半端ない勇気を必要とする。それは自分を守る為に纏った強固な鎧を脱ぎ捨てることを意味しているから。


頑張っている人に頑張ってネ、は時として残酷なセリフに変わる。

掛けようとする言葉は 時として存在しない。

出来ることは傍に居るだけ。見守るだけ。


他方 知らず知らずに人は誰かに何かを刷り込んでいく。

それは一種の愛情なんだろう、とも感じる時がある。


が 果たしてそうなんだろうか、とも感じる。


人は十人十色 それも一つの個性。

それを認めてあげること、そこなんじゃないかと思う。


誰か、と比べる必要もない。

私らしさ、いや 私を創るのは私以外であってはならない、と思う。


真面目であればある程に 向き合い過ぎる自分自身。

追い込んでいく私自身、肯定できない自分自身。誰かと違う私。


認めてあげれば良い、と思う。素直に。


今の時代 自己肯定感、承認欲求を求めるあまりに よりキツくなってない?を感じる。

SNSの功罪かな?


人の心理の中にある誰かに認めて欲しい。 それが可視化された時に得る心地良さは気持ち良いはず。そういう風に出来ているんだから当たり前。


が、そこで創られている貴方は、本当の貴方ですか。

もし 必要の無いことに無理をしているなら 捨てちゃうべき。そこに貴方は存在しないから。


真理は変わらない。

自分を創っていくのは自分自身、他の誰でもない。誰かの言葉でもなく、誰かと比べることでもない。


そこにしか貴方らしさ、は生まれない。

成長途中とするなら 本当の貴方らしさ、は創れない。


先ずは一歩踏み出してみれば良い。

いやなら 逃げちゃえば良い。恥ずかしい事じゃァない。

そんな普通なんてのは要らない。 


そもそも無いから、普通なんてのは(笑)

で 実は誰もそんなに誰か、に関わって生きてないから。


人生の中で色んな人と出会うけど 長く関わる人なんてのはその中の一握りでしかない。

大事なのは その一握りの人達との時間であり学び、そこから創られるらしさ、それだけなんじゃないかと思う。


普通、という呪縛からは開放されなきゃ 自分の意識として、自分の心からも。

楽に生きる処方箋は多分そこにあるんじゃないかな、と思う。


また ^^