「都合のいい誤解の上に成り立つ五輪」
「平和構築の基本は対話であり、それを拒否する五輪に意義はない」
JOCの山口香理事が19日のインタビューで発信された言葉。
納得する私。
担当相から「分断された絆を取り戻す」発言が物議を醸しだしていたのを思い出した。
同じ五輪関係者だが発信の方向性は明らかに違うし 納得感があるのは前者山口理事。 私としては。
以前にいつの間にか悪者になった五輪、っていう表現を使ったがその状況は変わらない。寧ろより悪くなっている感さえある昨今。
その根っこにあるのが この山口理事の発信だと思う。
何の為にやるの? このコロナ禍の中で、に対する答えが示されないから、だし 議論さえされないから。
明確に示せない意義という時点で意義は無い、ということの証。(に見える。)
あるのは何としてもやらなくちゃ、という大義。
にしても何かを示さないと成立はしない。
だから苦し紛れの、とか取ってつけたような、という枕詞が付くような説明になるんだろう。
当然 そんなものじゃ受け入れられないし、納得できない方(私)多数、という世間。延期or中止を望む国民は未だに70%を超えている。
方向性を持たない戦略はこの時点 開催まで残り70日だったかな今 大多数の「開催国の国民」から支持を得られない、変わらない結果を生んでいる。
そもそも絆は 信頼関係があって始めて成り立つもの。
それも絶対的な、を必要とする。絆なんてのはちょっとやそっとじゃ結べない。
そんな安直に語られるモノでもないし 語れるモノでもない。
付け加えるなら そんな関係性を築かれた記憶は悪いが私にはない。
何となく雰囲気(に私には見える)で発出される緊急事態宣言、解除も同じ。
何となく。それもいきなり、である。
そりゃ従う、そう言われれば。
だが それは社会の為に、であって政府の為に、ではない。
悪いがそこに絆を感じたことはない。
首相からの初期の発信。自助、共助、公助。
理解している。先ずは自分で。で社会で。最後に国が。
今 構築されてますか? 実行されてますか? この言葉は。
この新規感染症の対応が難しいのは百も承知している、なんてのは過去にずっと書いてきている。後手を踏むこともあるだろう、それは仕方ない。理解している。
が常に伴う感覚は 置いてけぼりな私達、である。
そう、足りない説明、ない会話。 じゃない?
コミュニケーションが足りない中で絆が構築されると思ってる、というならそれは「都合の良い誤解」以外のナニモノでもない。
一方通行のコミュニケーションで築けるものは不満だけ。
コミュニケーションの基本はキャッチボールだから。が、大原則。
原則がないところに論理は通用しない。
だから共感を得られる説明はできないわな〜、何処までいっても。っていうのが現在地。
これは何とかワクチン接種で、と謀る世論の変化。
これっきゃない政策。最後の一手。
で 慌てふためく自治体、という構図。
何が何でも間に合わせなきゃ次の交付金が〜な皆さん。ご苦労さま、としか言えない。
都知事が都議選を控えて奥の手 ん?切り札としてちゃぶ台返しか?なんてのも噂されてて そんなことは考えていません(キリッ)なんて返しがあったが そう見られてますよ、やるかもな〜 っていう証がここに見てとれる。
やるかもな、を想定するからこその質問。そゆこと ^^
何処に向かって、どう落ち着くんだろう、は未だに先行き不透明。
果たして何年後かにどう語られるんだろう この東京五輪は。
その経緯も含めて。
その あり方、五輪憲章が実は問われてんじゃないの、を思う私。
ここに答えはある。
人間の尊厳保持に重きを置き、平和な社会を推進する、のが目的。
この世界的なパンデミックの中で練習格差、選考会さえできないエリアがある、ワクチンさえ行き渡らない発展途上国がある、という現実を目の前にして繰り広げられるスポーツの祭典、という国際的イベント。
下手したら感染拡大してる中で。ワクチン接種も中途半端な中で。
人間の尊厳は? 平和なのか 今? ・・・という違和感。
所詮は純粋なアスリートを使った金儲けがあるのね、っていう見たくない裏側を見せられている。
まぁもうここまできたら 止められないんだろうけど・・・
せめてコミュニケーションぐらいはちゃんと取って欲しいな、と思う私。
少なくともリスクは共有してるんだから・・・
生活、という小さなエリアの中だけかも知れないが。
また ^^
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