コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

「重ねる年齢の中で見つける自分らしさ」^^

快晴 まさにそんな言葉が似合う今日。


そりゃ桜さんもあまりの気持ち良さに花開いちゃうわ。わかる ^^


開くと散るのがこの世の常、その「儚さ」は日本人の心情にハマっちゃう。

季節は春 別れの時でもあり 始まりの時でもある。

桜と共に思い出されるのはちょっとした甘酸っぱさと悲しい記憶かもしれない。


人の記憶力は便利なもので月日が重ねられていく内に悲しい記憶はオブラートに包まれていくし、楽しい記憶は美化されていく。極く自然に。

抜け出しにくくなる場合もままあるが。


このブログの初期の頃に大人になるとは、的なことを書いた。

確か 何かを背負っていくこと。と書いた記憶がある。


先ほど数少ない(笑) ブロ友(だと勝手に思っている私だが)さんにコメントの返信した時にふとあっ以前に書いた続きやん、と神が降りて?きたような気がしてこれやな、今日は と思い立った私、実に単純やん(笑) まぁそんなもん。


で 本題。

大人になることは何かを背負っていくこと。 なら年齢を重ねていくことは 特に私ぐらいの年齢になるにつれて今度はその背負ってきたものを降ろしていくこと に他ならない、と思う。

いやいやまだまだ背負っていくよ、という方もいるかもだが 頑張って、としか言えない(笑)


戻して その方法っていうのは人それぞれで その方法そのものがその『人となり』なんじゃないかな、と思う。


十人十色の人生があり そこに決まっているものなんてのは実はない。

無いからこそその方法には自分らしさが出るのかな、と。


と言って誰かに見せるわけでも発表するわけでもない。

あくまでも自分の中だけに存在し 完結していくもの、でしかない。


だからこそ拘りたい『らしさ』であり、そこに必要なのが『自己満足』なんじゃないかと思う。


まだまだそんなとこには至ってない私だが そうありたいと少し焦る自分がいる。


そんなに時間は残ってないだろうから。

これ。


また ^^