「う〜ん 緊急事態宣言再発令?〜共有されるべき緊迫感〜」(^_-)
今週中にも発出される緊急事態宣言。
そういう雰囲気に世間は包まれている。
勿論私もその一員。
なんだが 去年の緊急事態宣言時とは違う?違わなくない?そこに取り組む背景に。
良い意味で、そして悪い意味で? 知ったことが増えている。
去年何もわからない中で提示された8割接触削減。
どうすればできるんだろう、やれるのか? 社会の中の一個人としてどこまでできるのかに真剣に取り組んでた頃とは明らかに違う。
その治験から制限される項目は変わる、よね。
それは良い意味で、なんだろう。
闇雲に掛けられる網ではなくて ピンポイントに掛けられる網に、という点で。
打撃を受ける業種が限定的になる、んだろう。
それは菅首相のメッセージからも見てとれる。
だが 心理的な動きを見るなら果たしてそうなんだろうか。
この局面での緊急事態宣言発出というものの目的は、何?
とするなら アナウンス効果に他ならないんだろう。それしかない、のかもしれない。
その言葉が持つインパクト、そしてそれによる「全」国民の危機感の共有だ、と私は感じる。
感染者数拡大中において自粛された箱根駅伝の沿道応援。
86%減だったかな、確か。
これが一つの指標、私見である勿論。
だが14%の方は行った。というのは紛れもない事実。
多様性が求められている現代。
個人の思考、そして嗜好は尊重されて当たり前。わかっている。否定するものではない。
が 今は一つの方向を目指すべき時、なんじゃない?
以前の投稿で書いた私の判断基準。
入院できて適切な治療が受けられる、間は経済に貢献する、である。
が今 始まりかけている命の選択。これについても触れたいことはあるが今そんなことを言ってても仕方ない。現実はそこにいる。
神奈川は、というならもう無理、な領域に入っている。
なら徹底する感染予防、そして誰かに移さない対応。
知事さんは今可能な病床数すら把握していないことも知った、とある番組で。
まぁ大丈夫、俺は20台だから、なんてことをもし考えるなら想像力の貧困さを嘆かなきゃいけない。
貴方が今 交通事故に合ったとしたら 虫垂炎を発症したら 救急車は来てくれたが受け入れてくれる病院が無い、たらい回しにされる貴方、ってのもあり得る。
全ては、確率論の中では低いながらにも起こり得ること、である。
例え1%であったとしても100人に1人。
だがその一人になる可能性はある。これがたかが1%の持つ意味。
だからこそ必要なのは緊迫感の共有である、全世代に対しての。
沿道に行ってみるか、の14%にも届くメッセージ。
果たして 今週そんな緊迫感を、危機感を共有できるだけの、させるだけのメッセージは発せられるのだろうか? 緊急事態宣言という最後のカードとともに。
まさに正念場になる新規感染者数拡大と私達国民の意識変容。
時間は待ってくれない、コロナにそんな駆け引きは通用しない。
さて ・・・
また ^^
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