コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

「~らしさ~」 ^^

夜に、いや夜でないと書けそうもないテーマを一つ。


今日私の中にある、私が好きな一つの言葉に関して 私のブログ友達さんとメッセージのやりとりをした。


『らしさ』について。


人が誰かに何かを問いかけた時、というのは往々にして既に自分の中に答えは出ている、もしくは持っているがそこに誰かの後押しであったり 自分が出している答えに対して賛同してくれるものを期待している度合いが強い、と私は思っています。


だから 問いかけた本人は こう答えて欲しいな、とかこうであって欲しいな、が感じ取れることが多い。


私が もし何かの拍子に尋ねられたら ・・・

相手の方にとってプラスにどうすればなるか、を優先しているつもり。


例えば 普段ブログを拝見するなかで そのブログの書き手に対して当然ながら私なりのイメージを相手の中に作る。

それは同様に今 これを読んでくれているあなたが私のイメージを作るのと差はない。と思います。


自然に作られる私らしさ。これはあなたがつくる私らしさ、である。


他方自分が思う自分らしさ、とは? とふと思う瞬間が人にはある。

何かに悩んだ時とか 自分が何者でも無いんじゃないだろうか、なんてちょっとしたところで 負のスパイラルに入りそうな時に この思考はよく現れる、と私は思っています。


人が私に対しての私らしさ、を語る時は 何でもいいや、と思っています(笑)

若い頃には どう映っているのか、が気になっていましたが 今は・・・ちょっとかな まだあるんかいな(笑)


これは どう言えば良いのか、だが 若い頃ってのは良く見られたい自分がいて そこに自分らしさ、を重ねていた、と言えば理解してもらえるだろうか。


まぁカッコつけてる、的な(笑)

だけど どこかしらに出てくる『地』の部分があって そこはやっぱり隠せない。

『こだわる部分』があって やっぱりそこは隠せない。


これが「私らしさ」だと私は思っています。


ただ らしさ、というのは価値観に密接に関わっているので 時代の変化、それに伴う価値観の変化で らしさ、も変化する部分があると、変化しなきゃいけない部分もあると思っています。


私の若い頃なら 女性は守るもの、だとある種頑なに考えていましたが 今風にいうなら平等、とするべきなのかもしれません。

これなんかは 価値観の変化、だと私は思っていますし それを感じるなら取り入れる、何なら変える必要があるとも感じます。


但し その中でも 例えば女性と歩いているなら 車道側は自分かな、と思うし エレベーターに一緒に乗るなら女性を先に、とか さりげないところでの気遣いが自然にできる自分でありたいな、というのは変わらないところ。変えたくないところ。


その時々の中で変えるところ、変えないところ。これが『今の』自分らしさ、になるんじゃないかな、と思います。


結局のところ 他者にとっての自分らしさを気にするなら それは本来の意味である自分らしさ、を失うことにつながる、と私は思います。


わかります? (笑)


自分らしさ、というのは あるがままの自分をまず自分が受け入れる、というのが 最初の一歩 じゃないのかな。

その上で その自分を静かに見つめたら 自分らしさ はきっと見つかる、と思う。


自己肯定から、ですよ。

自己否定から入っては絶対に良くない。これは言えます。


あるんですよ いいとこは、誰にでも。自分に自信が無いから見えてないだけで。

自分で気づかないだけで。



あるでしょ ご飯がいっぱい食べれるとか、ん?違う? (笑)

お婆ちゃんに訊いてごらん、教えてくれるから。


何故お婆ちゃんなのって? 何故お爺ちゃんじゃだめなのって?


基本的に男は口下手だから。

見てごらん 夫婦喧嘩。

お母さんの方が強いでしょ 例外はあるにしても。あれがエビデンス(笑)


らしさ 大事にしたいし 大事にしてほしい。


生きていく上でも 大切なことの一つ。


『何も足さない、そして何も引かない。』


もう一つ付け加えるなら・・・


誰かが傍にいる。


これも忘れちゃいけない。


おやすみなさい 良い夢を ちょっと照れちゃう私。ん?らしくない?(笑)


まぁたまには、  ネ ^^