コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

「んなこと当たり前やろ、の当たり前って正しいのか? をちょい語ってみる って長いタイトルじゃない?(笑)」^^

何でこんなに寒いんだ? 4月だってのに、に怒りを覚え  てもしゃ〜ないか?(笑)


お仕事行くのに気合がいったね。まぁ当たり前なんだが ^^


っていう「当たり前」 という言葉。普段普通に使われているが、実は危険な言葉じゃネ が、私にはある。


考えてもみてください。やだ? 話し前にいかへんがな(笑)


貴方の当たり前、とそれを聞いてる私が一緒なら、問題はない。

あっすいません、そっすね で、終わり。

だが そこに乖離? 離隔? 隔絶?アカン難しい漢字が〜 ちゃうがな(笑)

まぁ違っていたら 話は噛み合わない。

噛み合う‘はず’もない。


今の時代 多様性を認めて、ってことになるなら この「当たり前」って言葉は、ある意味無くなる運命を辿ることになる ^^


私の頭の中にある当たり前、って概念も無くさなきゃいけない、ってことになる。


そういうこと、じゃない? に、ならない?


まぁそれだけのこと、なんだけど これはこれで中々に難しい。

言うほど、じゃなくて こう書くほどに簡単では、ない ^^


何故なら そこでいう当たり前、には刷り込まれた記憶であったり、生きてきた経験の中で培われたモノ、に由来しているモノであるから。


いきなりそうだから、に対応してくださいね、よろちく なんて言われたからって、スイッチのオンオフの切り替えみたいに上手く出来るんなら苦労はしない。ボケてもこな あっ(笑)


自然に出ちゃう?言葉、思考は、中々に止まらない、止められない。 そうカッパえびせん は、違うな。


なら、が必要?

いろんなコト、やり方、考え方は ある、先ずはそこ。

自分に合ったやり方、捉え方 でやっていくしかない。 は、まぁある。


で、私なら だが 聞く側に立つなら常に頭を柔軟にしておく、どういうことかと言えば、全てを否定しない思考 そこから入る これかな ^^


どちらか、というなら 肯定から入る、で 考えてみる。そんなイメージ。


言う側に立つなら、自分の当たり前を押し付けない、ってことかな。


どちらにしても 少なくとも聞く耳を持つ、そんなとこ。

これだけでも 変わると思わない?


今 必要になってる意識、ってのは 自分の中での当たり前、は果たして皆んなの当たり前なのか これなんじゃネ?


いろんな価値観が、当たり前が当たり前でなくなっている世界、そして社会だから‘こそ’ 物事、森羅万象に対して 柔軟であり、なおかつ 真実を見れる目を、で 自分なりの意見、意思を持つ必要性を問われている、 そんな気がしてならないんだが。


なんてことを 今日ゲームないし、寒いし な、中で挙げてみる 長かったタイトルだけど(笑)


また ^^