コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

「変わる、そして変える物語」

昨日発表されたWHOからの声明 それは日本でも。


「歴史上はじめてコントロール出来るパンデミックになる。」

WHOの声明である。


何を根拠にするものだろうか。


今 世界中で研究者の方達は懸命な努力をされてはいるのだろう。

が現段階では薬もワクチンも未だ無い。これは紛れもない事実である。


コントロール出来る、という言葉には悲しいかな説得力は無い。


希望は 欲しい、特にこういう不安、そして閉塞感が蔓延している中では。

だが根拠の無い言葉に説得力は伴わない。

そんな気休めは要らない。


誰も 「なら安心だね。」にはならない、なりようがない。


日本では もう10日間の自粛要請が発表された。


前回に突然発表された2週間の自粛要請。

この期間 本当に突然変わった社会システムに対してどれだけの方が必死の思いを持って対応されてきたんだろうと感じます。

その全てが表には出てはこないだろう 余りにも色んな場面、分野に渡っているから。


人にはそれぞれの物語があると私は思います。


これもその方の知り合いであったり 家族であったり 著名人でもないと語られることも表にでることもまずないでしょう。


でもそれは確実に存在しているものです。


この自粛要請の中で突然無くなった卒業式。

自分史の中でも 何本かの柱の内の一つに紛れもなくなるものです。


「一つの節目」


子供達は知ります。

クラスメイト達との別れ、そしてその共有してきた時間の大切さを。


そして先生。

共有してきた時間 成長を見守ってきた子供達の自分からの旅立ち。

色んな想いに対する 「ケジメ」になる時 キッカケにする儀式。


後になれば 逆に特別な年として認識されるのかも知れない。


但それを今この時に受け入れるのは難しいのかと思います。


今日は 「3.11」

この数字を見るだけで心が動かされる方もいると思います。


もうあれから9年 未だあれから9年 捉え方は個人によって変わると感じます。

地震というまさにその瞬間で一変してしまった物語。


突然訪れたこの大地震。


突然いなくなった大切な人、もの そしてその後も続くはずだった時間。


そこまでに書いてきたもの、書こうとしていた物語は 一瞬で書き替えなければ無くなった。


今日色んな式典 追悼式が予定されていた。


が このタイミング。

こういうものさえ縮小、自粛しなくてはならないのかと思われる方も多いと感じます。


それは自分の想いを 同じ想いを共有出来る場所であるから かけがえの無い時間、場所であるからに他ならない。


イタリアでは 全土封鎖 結婚式、葬式が出来ないというニュースが流れている。

葬式は家族等の故人に対しての 「訣別」の儀式。

延期の選択肢が出来る結婚式とは少しニュアンスが変わるものだと思います。

このタイミングで というのはやりきれないもの、わりきれないものが芽生えるのは仕方ないことだろうと感じます。


誰が悪いというのでは勿論無い。


だからこそ何処に持っていけば 誰にぶつければ を見つけられない悲しさ、そして無力感。


もう10日間というなら 私達に他の選択肢は無い。

社会の一員として 自分の出来ることはやります、当然の事として。


ただ思うことがあります。


「今 この時に援助が必要な方はかなりいます。この人達に必要な支援を早急に実行してください。」


そこには 枠組みとか偏向があってはならない。

悪いことを考えてる人を外す為に作る規制は要らない。それは後でも対処出来るはずです。


今 やるべきは 全ての救済、支援を先ずやる、です。

でないと「枠組みからこぼれていく人が間違いなく出ます。」

それはあってはならない。


私達国民が今 一番感じている怖さは 新型コロナウィルスではない。


『永遠に続く2週間』


ここです。


書けない、そして思い描けない未来の物語です。


変えてもらいたい 今までの枠組みからの脱却を。

今までになかった発想で、そして行動力、決断力で。


それは日本の今までの、そしてこれからの新たな物語の始まりであるはずです。

見てみたい、読んでみたい私は そんな日本という国の新しい物語を。


また


by kosuke