コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

「非常感谢 和未来」^^

変わる時、変わるキッカケ。


人生の中では変わる、変わらないといけない瞬間というのがある。

それは回りの環境変化等 外的要因によるもの そして自分の中で という内的要因によるものに大別されると思う。


先日来 予告していたある投稿。

中国に関することを書こうと思っていました。

タイトルは 「組織の中で疲弊する人々~武漢の最前線で闘う女性医療スタッフ~」というものです。 いや発表されることはないので でした、とするべきですかね。


自分の中でどういう形で投稿すれば拡散出来るだろうか、そして次の行動に移してもらえるだろうか と考えた時にどれだけの熱量を持って読み手の方達に共感、共有してもらえるか、そして俗に言われるインフルエンサーの方をも惹き付けられる丁寧でしかも現場の閉塞感、臨場感、絶望感そして責任感を感じとることの出来るものを最高のタイミングで挙げようと考えて準備を進めていました。


基本的には三部作もしくは四部作ぐらいを一つのくくりとして新型コロナウィルス国内版からで耳目を集め最後にこれを挙げようと。

確かにそういう意味ではアクセス数は増えた、そしてインフルエンサーへの当てもついた。


が 結果はというと 失敗だ。

この投稿は出来なかった、からである。


私のこのブログはアクセス数を求めるものでは元々無い。

自分の定義に従って自分なりの発信 誰かに何かを考える「キッカケ」になってくれたらいいな、である。

そういう意味では別に数にとらわれるモノとは一線を画している。


好きになってくれたら嬉しいし 嫌いであってもそれは構わない。

やはりそこには 嫌いな理由がある訳で そうは言ってもやはり考えているからです。

私の目的である 考えるキッカケにはどちらであっても果たされている。


私のような昭和世代と言われる年齢層がメッセージとして発信出来るものは限られていると思う。

若い世代に昔は・・・なんてのは意味も価値も無いだろう。

時代は既に変化していて 外的要因というべきか? 私達世代の常識と言ったものは通用しなくなっているだろう。


それはビジネススタイルであったり ライフスタイルであったり。


だが残して欲しい文化であったり 人としてやはり悩む部分は時代の変化があったとしても同じもの、共有出来る部分はあると感じます。


話しが逸れていますね。

戻しますが 私は今回失敗しました。

舞台がほぼほぼ揃ってきたか、と感じて さていつ出すか というタイミングを見張らかっていたら 時期を完全に逸した。


日本の状況が劇的に変わってしまったから。

多分 私の投稿に対して日本側にその余裕は無いだろう、と感じた。

この余裕の無さからくるものは 何をこのタイミングで言ってるの?にしかならない。と私は感じた。


自分の思う構想は完全に崩れた。

敗北感しかない。


色んな反省すべき点があった。


この教訓をどう学習して 次に向かうか、である。

どう変えていくのが現実的であり そして効率的か。これと向き合う必要が今 目の前にある。

いくつかの新しい試みを既にはじめている。

ここでは無いが。


楽観的な私ではあるが 無力感 そして自分の甘い読みに久しぶりにかなり凹んだ(笑)

だが しかし 嬉しいメッセージが中国から舞い込んできた。


そこに合ったのは私への「感謝の言葉」だった。

中国の某所で日本語の教鞭をとられている方です。


何も出来なかった私への感謝のメッセージ。

凹んでる場合じゃないよね、と前を向けた。

しかも 今後も私のこんなブログをフォローします、とまで書いてあった。


日本人の考え方であったり 日本語の表現方法であったり とまで書いてあった。

いや すいません それはやめといた方が(笑)


かなりサンプルとしては 違うような ・・・


というのは今 説明しといたから後はお任せします。

私に責任は無いからね。と書いておきます。

うん これを日本語で 「責任逃れ」と言います。

一般的には悪い表現として用いられます(笑)


非常感谢 和未来。(ありがとうございます。そして未来へ)


国としてではなく 人として良い関係が築ければ。


また^^