コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

「終わる夏に」^^

イイね〜何もない月曜日 ヒマってだけだが(笑)


朝から食料品の買い出し 半端なくアチィんですが ^^

お天気予報によるとこの暑さも今週まで、来週には秋の気配が、ということらしい。


終わるのか〜今年の夏も。

といって何があったわけでも、何をしたわけでもない夏。

去年に続いて、という 何だかな〜 感。

といって別にこれがやりて〜 なんてのは無い、サミチイが ^^


お籠り生活にも順応してきて 何気に料理の腕前と将棋の腕前が上がった。 お部屋がキレイになった。

観葉植物さんの数が増えた。


が、それだけ。何てことはない。

幸福度が上がったか、と問われたら・・・ 現状維持 (笑)


このご時世だから それはある意味において上がってんのかもな、なんだが自覚症状としては変わらない。そんな感じ。


変わるのかな、このコロナ禍によってその価値観は。

幸福、という定義が。


失って初めてわかること、ってのは世の中には結構たくさんあって その逆に失う怖さから手放せないものってのも結構ある。

その取捨選択はあくまでも自分の中に通常はある。


ところがこの降って湧いたウィルスによって変わるシステム、行動制限によって自分の意思とは関係なく無くさざるを得ない状況が産まれた。

今まで普通にやれてたこと、出来たことが出来なくなった。


人はその中でその環境に順応を見せる。まぁ否が応でも、だから仕方ないわけで。

が 短期的には我慢と順応が共存出来るが これが長期に及ぶとなると話は変わる。変わってくる。


根本から変えるか、我慢しなくなるか。こんな感じかな。


で探し始める我慢しない為の理由。 何か欲しいものを買う為の理由探しと一緒。

自分へのご褒美、とか 誕生日プレゼント、とか 仕事で頑張ったから、とか そこを丸め込むのは上手い。自分のことだからそりゃよく知ってる ^^


ところが根本的に、となるとこれは中々に難しい。

今まで感じてた幸福の尺度を、行動を変える訳だから一筋縄にはいかない。


私が感じる幸福な時間、っていうなら そこに誰か、と共有している。

宴会であったり、バンド仲間とのセッションだったり、カラオケパーティーだったり、と とりあえず人が集まってのどんちゃん騒ぎ。これ ^^


出来ね〜 (笑)


他方 好きなのが孤独のグルメ いや、番組? じゃなくてお1人様時間。

以前挙げたが 読書、これね先ず。

最近ならここ。ブログね。

何とはなく繋がってる感 結構なお気に入り。

ちょっとアクセス数増えすぎてる感があって内容、書き方とかが気になってきてるが(笑) 


で 海外のお友達とのSNS、コミュニケーション。

こんなとこかな。お一人様時間の過ごし方としては。


まぁ後は仕事関係 これは会うことが少なくなったから良し。

以前から要らね〜と感じてた移動時間と意味の無い?会食時間 喫茶タイムってのもあるが。

で 終わってからの飲み会。腹の探り合い? 要らない(笑)


ん?グダグダ書いてない? ヒマだから(笑)


まぁそんなこんなで変わる幸福度。その尺度(モノサシ)

どこにどう合わせるか。

それで変わるよね、人生そのものが。


ウィルスによって激的に変わることを強いられてるような気もするし、言葉を変えるなら ウィルスによってそのスピードが早まった、そんな気もする。


格差なんてことが言われてるが 何を基準にするか、でその捉え方は変わる。

自分が自分らしく、これも中々にわかりにくいけど 誰か、と較べて じゃなくて自分の中の尺度でモノゴトを測っていく、ちょっとしたことに感謝を覚え、幸せを感じとれるとするなら 原点回帰。今のこの不自由さも一つの転機なのかも、を感じる私。


思索には適する秋の訪れ、秋の夜長 悪くないのかもね。

自分を見つめ直すのも。


メシも美味いし は、ブタっちゃうだけか〜。

始めるか 運動何か 身体既にカテーし ナマッてるが(笑)


また ^^