「スゲーな 13歳の金メダリストって」(^^)/
う〜ん爺(私)の時代は終わったね(笑) を、思い知らされた ^^
もはやそこに汗と涙の、的な昭和は 無い。いや、入る余地は無い、か。
しゃ〜ない、時代は変わっているし その価値観ももはや別物である。
認めなきゃな、を自覚する私。 ん?ちょっと違う? 自覚瀬ざるを得ない、こっち? ん? いやいや まだまだ若えもんには負け 張り合ってんじゃネ〜よ(笑)
大事なことは、どうやって次世代にバトンを渡すのか。 これだね今の命題は。
既に私の年齢だともうそれは終えている、はず。
なら もう社会への役目は終わっているのか、とするならちょっと違う。と私は思う。
人には生きている限りその存在理由はある、と思う。
それに気付かない人、気づけない人がいるだけ、だと。
そこにあるのはそこを認識出来ない人、バランスが狂っている人、自信を無くしている人、そんな気がする。
全てに必要なのはバランス感覚。
自分が終わった、と考えるのは寂しいことだし 絶対に認めたくはないことの一つ。
が、時代は変わっている、自分はその感覚に遅れていない、と考えるのは傲慢そのもの。大事なのは自己認識であり 謙虚さ。
新しい世代に、新しい価値観に全てフィット出来るか、と問われたら ムリッ(笑)
当たり前 違うんだから。その育ってきた背景が、環境が。
と言って 無条件に明け渡すもんでも無い。
その壁にならなきゃ、はある。持ってなきゃいけない、とも思う。
そこにある年長者の矜持。これ ^^
変に物分りの良い爺なんてのになりたくも無いし 必要とされる訳もない。
タイプは自分に合わせて、なりたくてもなれないモノになれるはずも無いし 無理してそこを目指してもイタイ爺になるだけ。悲しすぎない?(笑)
そこはの年長者、伊達に歳は喰ってない、伊達に足腰が弱っているわけではない、は 違うか(笑)
そのメリハリであったり、何を持って何を繋げていくか、のバランス感覚を磨くことは常に真剣勝負である。
負けちゃあいられない、若い奴らには って爺のセリフやん(笑)
そんな中で思うこと。
オリンピック反対派の方々の声。
その声に異論を唱えるつもりはサラサラ無い。
その気持ちも理解出来る。その憤りも理解出来る。
言いたいこともわかる。
余りにもやるせない不条理なモノを見せられて、いや見せ続けられて 立たずには、声を上げずにはいられないんだろう、と推察する。
が その考えを、憤りを周りに発し過ぎないことを、強制しないことを願いたい。
貴方の側に子供さんがいた、として 閉ざされるモノがそこにあるかも知れない。 見えたはずのモノが貴方というフィルターがかかることで見えなくなるかも知れない。その機会を逸することになるかも知れない、を意識して欲しいと思う。
我々年長者がやっちゃいけないのは 可能性を奪うこと。
甘やかすことと厳しくすること。そこにそんな差異はない。
子供の為に、という意識がそこにあるから、あるなら。
なら、である。
そこは絶対に忘れちゃいけない。
ふとこの13歳のゴールドメダリストに驚きを感じた中で思い浮かんだから挙げてみる ^^
スゴいよね、やっぱその可能性は。無限大。
閉じちゃいけない その可能性のタネ。
おめでとうございます 西矢選手。
買ってもらいなよ 何か良いもの じゃぁないか(笑)
その手にはゴールドメダル それ以上のモノなんてのは 無いわな、知ってる。
また ^^
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