コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

「守るべきもの」の定義、そして方法論

守らなきゃいけないもの、とは?


と 聞かれたら・・・ さて


私は 自分が大事にするもの、したいもの、或いは ことを理不尽に(理由が納得出来ない)侵してくるものから だと考えます。


その程度によれば 守る、から攻める必要があると判断したなら 攻めることにも躊躇はありません。


但し そこに必要なものとして 自分の中の納得であり 必要なロジック(論理)の構築だと考えます。


例えば 最近SNSの中で 犯人は誰だ? そこから一歩進んで 皆でよってたかって 的な風潮が時として見受けられます。

そこには 自分の正義が あるのだろう、という推察は出来ます。

そうなのかもな、というのも あります。


が しかし・・・です。

果たしてそこにある、表面に出てきているものが全てで それが事実なのか?

という確証は何処にあるのか、というのがポイントになると考えます。

相手から見た事象、自分から見た事象というのは時として 正反対になる場合もあるからです。


間違った情報から導かれる答えにどんな意味があり そのことから発信されるものに価値はあるのか? ということ。

もっというなら価値云々より以前に誰かを意味もなく 傷つけてしまう事さえ考えられます。

これだけのことに対して あ~そうなんだ じゃあ私も乗っかって、には絶対にならないし やるべきでは無いと思っています。


最初に書きましたが 私の中で納得をする、ということは そのコトが何故起きたのか? であったり その背景を知らないと判断出来ない、ということです。


もし そこに 何かの違和感を覚えて 納得が出来ない、とするなら・・

それを踏まえた上で どんなロジック(論理)を組み立てるか、組み立てられるか、だと思います。


例えば 何かをする際にあるルールという壁。

ルールというのは 円滑に回すシステムですよね。

但し それは時代と共に変えないといけないものも時としてあります。

何なの、それ?もあるかと思います。


今は SNSを通じて 変革を促すことも可能な時代になっています。


なら 一個人がそれ(変革)をやろうとするならば 圧倒的な数をバックに持つことも一つの有効な方法だと思います。

私ならこれかな、選択するなら。


最初は小さなものでも そこに共感、共有してくれるだけの圧倒的なロジックであったり 事象であったりとするなら 数は自然に増えます。増えるはずです。


その広がり自体が 「力 」になります。

守りたいものを守る為の。


守りたい、と本当に私が思ったら こうする、かな。


ちょっと違う感じですかね、今回の投稿(笑)


また^^