「変化を好まない社会、に未来はないんじゃないの?」^^
世の中には不思議なことがかなりある。
何でそんなことが出来ないの、っていう類のもの。
多様化が叫ばれてはいるが 叫ばれている「だけで」実は変わってないこと、変わらないことなんてのは山のようにあるんだと思う。
その当事者とか、そのことに向き合ってる方々のみがそこに絶望感であり、その壁の厚さとかを実感されているんじゃないか、を屡々見かける場面に出くわす。
ちょっと前なら女性蔑視で炎上してたし 子供を産まない女性は、なんてのもあった。
最近ならLGBT理解増進法案見送り、かな。
性的少数者LGBT差別に関する法案は今国会では提出されないことになった。
しかも部会では「種の保存に背く」なんて発言や、トランスジェンダー選手の競技参加を排除する なんて発言もあったようだ。
この時代にまだそんなことを発言される方がいることに驚きは隠せない。
この発言の方が一般人ならまだしも国会議員だから余計にそう思うし この方々が法案を作る立場にいることに絶望感を持ったのは私だけじゃないと思う。
確かに法律が出来たから無くなるものではないよね、なんてのは理解しているが少なくとも一歩前に進むことにはなるんじゃないの、が私にはある。
先ずニュートラルな立ち位置で審議すべきテーマだし 弱い立場にいる人を守るのがその主旨なんじゃないの、が私の思うこと。
何を持って排除しようとしてるんだろう、しかない。
夫婦別姓にしてもそうだし その論点がよくわからない。
守っているのは、いたいのは伝統? ってことだろうか?
ハンコとかと一緒で文化なのだろうか?
確かに伝統は重んじられるべきものだとは思う。
そこに重ね合わされる歴史があって日本というアイデンティティーが形成されているものだとも。
ではあるが日本の伝統芸能である能にしろ歌舞伎にしろ変化してきている。
その時代時代によって、その演者によって 変化を重ねているのは事実。
できない、とするなら廃れていくことを彼らは知っているから。じゃないの?
時代に合わせた変化を怖がっていては前には進まない、ことの証明はここでも見て取れるし そもそも 誰か、が何か、で苦しんでいるのなら 手を差し伸べるのが本質なんじゃない?
今 急に出てきたことではない。
「今だから」小さな声かも知れないが出せる世の中になってきた、のかもしれないし、勇気を持って立ち上がった方々がいる、からかもしれない。
大切なのは少なくとも今 声は聞こえている、という事実。
いろんな生きづらさ、が表に出てきた今だからこそ そのいろんな小さな声に敏感に社会は反応しなきゃいけないんじゃないの、と思うし その声を反映できる枠組みの必要性を感じているのは私だけじゃないと思う。
小さな声だからこそ、より大きく取り扱うべきこと。
そんな気がするけどな〜。 まぁあくまでも個人的な見解だが。
また ^^
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