コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

「求められるもの、そして出すべきもの」^^

求められるもの、に対しての発信、が世間をザワつかせる昨今。


出し方を間違えると簡単に燃えちゃうというこの空気感、怖くネ?


今朝挙げた絶対的エース菅野投手に求めるものは、つったら安心感。安定感。

それはチームに対して、でありファンに対して、である。


まぁ今日は菅野投手だからビール片手におつまみ食べて あ〜美味い、っていういわゆる酒の肴 これ。

当然ボコボコにされちゃいけないし 毎回安打、塁上を賑わす相手バッターなんて展開を求めてはいない。あくまでも気楽に見れなきゃ ^^


で 話変わって 最近世間をザワつかせている皇室問題。

正確に言うなら恋愛問題。

普通ならそこはお互いの意思で、なはずだが皇室が絡むから話しは難しくなる。ややこしくなってくる。

 

ずっと沈黙を貫いてきたが 唐突に発信された全28ページの大作は世間の納得は得られなかったようで ワイドショーの恰好の題材となっている今。


私も拝読させてもらおうとしたが途中で挫折した。

長いよ、っていうのと余りにも論文論文としていて「今求められているもの」とはかけ離れている内容に読む気が失せた、ってのが本音。


それは二つの事に起因している。


一つは本質から離れたロジック。自分の為に、になってない?である。

先ず根本にくるのはお互いの愛情の先にあるのが結婚である、という大前提であり それを円滑に行う為に愛情を周りに理解してもらう必要性がある、ということ。それは何?とするなら 相手を慈しむ姿勢であり心情になるはず。


守るべきは自身ではなくて相手でなければならない。はず。それからは遠くない?


これは皇室というある種聖域と呼べる範疇だけには収まらない。

一般的にも同じ。


ともう一つが 守るべきは自身ではなくて相手、そしてその先にある皇室の一員、ならば皇室そのもの、でなければならないということ。

皇室は今 過渡期を迎えている、と私なんかは(畏れ多くとも、だが)感じている。


『国民の象徴としての天皇』


書くのは簡単だし 言うのも簡単である。

が これはかなり難しい立ち位置じゃない? 現代において。


ずっと国民に寄り添って来られた御姿は私の目にも焼き付いている。

その御姿に、その御言葉に力を頂いた国民は数限りなくいると思う。かくいう私もその一人。避難所で一人一人に同じ目線で語りかけられていた御姿には泣けた。

この方々がいられて良かった、と心の底から思った。


それこそが皇室の存在意義だと思う。


そこに投げ込まれた石が波紋を広げている。

悪い書き方をするなら皇室を俗世間化させている。

皇室のあるべきニュースの類いではないよな、である。


偉そうに書ける何者でもない私だが 一つだけ言えるとしたら 物事には本質があってそれを外しては語れない、ということであり それなくして納得、共感は得られないんじゃないかなぁ ということ。


それはどこにでも存在している。


誰もが祝いたい気持ちを持っている、これは同じ。

ましてやお互いが求めているなら それは自然なことだから。


愛情を説明するのに下手なロジックはいらない。冷めるだけ。

素直な心情、自身の心をさらけ出せば良い。

恰好良さ、なんてのはいらない。不細工でかまわない。


所詮人の気持ちを完璧に表せる言葉なんてのはそもそも存在してはいないし その置かれているシチュエーションに依っても言葉の重みは変わる。

だからこそ どんな言葉でも心は伝わる。伝えたい想いがあれば。


それを受け取れる人、理解できる人がいれば。じゃない?


まだ間に合うんだと思う。難しくしちゃったな、とは感じるけど。

それもまた超えなきゃいけない壁の一つ。

どんな未来を創るのかは本人次第。

誰もレールは牽いてはくれないし またそんな人生なんてのも面白いはずはない。


まぁ独身バツ2な私が語っても何の説得力もないわけだが(笑)

ちょっと違ったのを挙げてみたくなった週末。

なんてこともない世間話し 天気も良いし。


何かないのかな 楽しいこと。

あっ昼ご飯時か もう。

何作ろうかな、なんて午後。ヒマやん は いつものこと だったかな。



また 良い週末を ^^