コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

「課題を投げられた社会・・・」^_^;

何とはない違和感。


森会長の失言?から続く一連の展開。

フォローに廻る、廻ろうとしている方々から出てくる発信が理解不能。


何故にこのタイミングでその言葉なの?な方々多数。フォローというより寧ろ火に油を注いでいく皆さん。

ボランティアはまた集めれば? それが本音なのね。いや あかんやろ(笑)

そこじゃないし、そういう物言いでもないわな な人多数。


日本はそういう社会なのね、というのを世界に発信してしまった。

いや ばれちゃった、かな?

一つがジェンダー差別、そしてこういう方々が未だに社会の中枢にいる、という現実を。


辞任の席で 老害というのは・・・発言があったがそれは貴方が言ったことでは、と感じたがそこはツッコむとこじゃない?(笑)

要はそういうとこも含めて、かな。


後任人事を辞める方が推薦しちゃう、しかも私達の知らないとこで、なんてのもあって いや それは違うやろ、というまさにこういうことがまかり通ってきた日本社会の縮図を見せられた感じだよね。


そんな中 川淵氏が後任候補に上がった時に 83歳から84歳に?というネガティブなニュースがあったが 全てに差別をしない、であるならば年齢ということがネガティブな要素になっちゃいけないんじゃないの?ってのは?という違和感。


も一つ付け加えるなら 次期会長は若い方で、女性で、という 全然違うタイプを、新しいイメージを、が今求められる候補者像なのは理解できる。

まぁ今の自然な流れ。

後任人事に注視してる世界に向けての発信にもなる。


だよね、何だけど


何とはない違和感。

何とはない無理矢理感。


本質はそこ?


この一連の動きの中で浮かび上がったのは 日本社会の現在地。

実は こんなもんだった、という現実。

だが 変える、考えるキッカケになったのは事実。


今まで何となくわかってはいた。表では上手く取り繕ってはいるが実はその本質的な部分には中々踏み込めない。変えられない。


私自身こんななんちゃってブログ なんと1年を超えて、は関係ないか(笑)

続けてきてるけど大丈夫だったかな?感は普通に持った。

普段使っている言葉遣い、フレーズ 大丈夫なのかな、と考えさせられた。


もしかしたら森喜朗的な部分はある、あったかも は否定できない。

「普通に」できてる? できてた?と問われたら 


答えは NO。若しくは Maybe(多分)、若しくは I hope(そうありたい)  そんなとこ。


だからこのキッカケ、一過性のものにしちゃいけないよね。ここかな大事なのは。

ちゃんとしたディスカッションがあって、長い時間継続して始めて それが普通になっていくもの、普通にしなきゃいけないものの一つなんだと思う。

 

今までも同じ。

何かの出来事でその一時は語られるが 何故か消えていく、何故か忘れ去られていく。

難しいから、簡単には語れないことだから、なんだろう。

 

まぁそんなことを考える雨模様の今日。


地震の影響で緩んでる地盤。懸念される余震。

何事も起こらないことを祈るしかない私。

気分は重め、かな。


また ^^