コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

「まぁ所謂年の瀬〜終わりの始まり〜」(^_-)

もう27日か〜、と何故かアタフタと気忙しい私。というこの季節感。


何に対してか、と言われても明確な答えは実はない。そんなには無い、かもしれない。

何となく、とか やっぱ年の瀬だから、とかそんな感じ?

年の瀬、という雰囲気がそうさせているのかもしれない。


今年の「こと」は今年の内に。こういう心理なんてのもあるのかもしれない。


物事に終わりがある、ってのは悪くないことだと私は思います。


一年の終わり、恋の終わり、人生の終わり etc.etc.

いろんな終わりはあるし、それはやってくる。突然に、必然的に。


でも終わりがあるからこそ「今」をより濃いいものにできると思いませんか?

意識している、していないは別にして。


例えば人生が80年とある程度決まっているからこそ そこに向けてどう生きるのか、残されているであろう時間の中で何ができるのか、何をやったか、やらなかったなんてのことを考えるようになる。

それはある意味 年の瀬に今年を振り返るように。


昔若い時代にいろんなイベントをやった。伝説的なものまで。

凄くネ、つってもそれは過去、記憶の中にしかない。

「今」となったらその時を共有した人以外には多分価値なんてのはない。


イベントの良さは終わりがある、ということ。

ずっとは続かない。何時まで、がやる前から決まっているのが殆ど。

だからこそ やるべきこと、やりたいこと、何時まで頑張れば、が明確である点。


そこをやりきることで 終わらせることで 次が始まる、次にいける。ここ。


大事なのは やりきることであり ちゃんと終わらせること。

なら 次にいける、始まる、ということ。


今年を見るなら、コロナで始まってコロナで終わるんだろう。

これはもう逃げようがない現実。受け入れるしかない。


個人としての精一杯には限界がある。先ずは自助なんて言葉に引っ張られる必要性なんてのはない。

何故なら 災害なんだから。


災害は突発的にやってくる。本人に何かの落ち度なんてのは基本的にない。


なら今を生きること、耐える為なら何を使っても良い。法律に沿った上でなら。

日本にせっかくある生きる権利。

使うべき、べき、だから 必要な状況なら。


日本人の美徳の一つ。耐え忍ぶ。 なんてのはいらない、必要ない 今は。


何を使っても生き延びる。これです。

普段と違う貴方の姿でも構わない。普段と違う状況なんだから。災害なんだから 今は。


一つの終わり、を受け入れてそこからまた新しいことを始める。

新しい「貴方」が始まる、創り始める。


終わりは始まり、躊躇しちゃいけない。負の連鎖を終わらせることを。

終わらせて始める。どうやって、を考えればいい。そこだけ。


ましてや 今は年末。今年は後数日で終わる。

そして新しい年は始まる。

気分を変えなきゃ、先ずは。


下を向いてたら虹は見えない。 下を向いてたら初日の出も見えない。

そして 希望さえも・・・ じゃネ?



また ^^