コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

「いろんな物語りに接する中で」(^^)

もうこのブログを始めて一年が過ぎた。


凄いよね。

ん? 何処が、そして何が?(笑)

いや 飽き性の しかも超という枕詞が付く私からしたら凄いよね、と誰が言わなくても実は私自身が一番驚いている。


ブロ友さんは何と十何年とこっそり打ち明けられた。

ムリッ(笑)


一年で感動してる私には。


でも ここで知り合った方(がた)は新たなる財産なんだろうな、と感じる。

何故かっつうと 誰かを傷つけない人達だし そこに彼、彼女達の物語りが存在しているのを感じられるから。


人は時として劇的な、とか非日常とかを求める。

でも実際の生活にはそんな「特別な何か」なんてのは中々巡り会えない。

現実なんてのは結構平凡な日常の繰り返しにしか過ぎないもんである。


退屈な毎日の中で 何かを期待しちゃう私。

ごめん 中々出会えないから(笑)


で 非日常に出会った、出くわした瞬間に普段の、何気ない日常が実は中々に素敵だったことにも改めて気付く、なんてこともある。


多分 人生なんてのはそんなもんだろう。

そんなに良くて堪らないものでもないし そんなに悪いもんでもない。


異議あり? (笑)

わかる。


が 思うことは 今をあまりにも真面目に捉えないで欲しいな、ということかな。


日本人の良さ、でもあると思うんだけどあまりにも全てを真面目に捉えると「遊び」の部分が無くなっちゃう。


車のハンドルにだって 遊びはある。

何故だか知ってますか?


余りにもクイックリーに、センサティブに動くとしたらドライバーが危険だから、です。


人生もどうドライビングするか、というなら余りにも真面目に捉えたら、遊びを無くしたらどうなりますか?


息が詰まります。

持って行き場がなくなります。


正義が勝つとは限らないし、そもそもその正義が正義かどうかもわからない時は往々にしてある、存在する。


まぁ私みたいに 遊びがあり過ぎる人生はちょっと違うかも、だが(笑)


このコロナは 今まで何となくあやふやにしてきた「いろんなモノ、コト」を浮かび上がらせた一面を持っていると私は感じています。


それを感じませんか?


なら どうそれを感じて どう自分が受け止めるのか。

何を創っていくのか。


そう自分の物語りは自分でしか創れない。これは真理。

なら どんな結末を迎えるのかも、じゃない?


その中に必要無いのは 意味のない虚栄心、そして 自己欺瞞。

自分に嘘をつく人は誰かの信頼は得られない。

普通のこと。だが人は時として やっちゃう。やっちゃう動物である、悲しいかな。


また ^^