コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

「正解の無い時代の中で」^_^;

最近何故か多くなっている記者会見。


コロナ対応から政治絡み、不倫に至るまで中々多彩である。


思惑、意図する目的によってその会見の中身は変わるし 世間の受け止め方も様々である。

昔と違ってSNSの普及によって声は大きくなったし その声に対する賛否がまた新たな声となって次なる声を生んでいる。そんな感じかな。


ちょっと前に言われていた自粛警察のあたりから 正しい、正しそう な論理による攻撃がより明確になっているような気がしてならない。


一見 正しそうな論理、というのがその背景にある。

だから安易に乗っかれる。だって正しいんだから。言っていいよね、書いていいよね、があるんだろう。


そう、だって正しいことを言ってるんだから。


果たしてそうなんだろうか。


正しい道を進んで そこを突き進んで そういう社会になっていって その行き着いた先は楽しいんだろうか?


ちょっと違うような気がしてならない。


ギスギスしてない、そこは?


人は誰もが失敗するし 何かに流されてしまうことだって普通にある。

所詮は人だから。


そんな四角四面には生きられないし どこかで息を抜かないと耐えられない。そんなもの。

そんなに強い動物じゃあない。


今 第三波と言われるコロナ感染拡大の局面において より鮮明になってきているのは 格差であり 分断、じゃねと感じている。


リモートワークができる人、できない人であり 身近に感じている人、他人事になっている人であり 未来を憂う人、そして今食べる物を憂う人 数え挙げればキリはない。


正解なんてのは無い時代に入っていると感じている。


見る角度、置かれている立場で進むべき道も 今できる選択肢も違うから。


そんな中で 自分の主張することに正当性を持たせることに、主張を通そうとすることに意味も 最たる価値も無いように思う。


分断がそこにできるだけ。相容れないものを増やすだけ。


何故なら 貴方にとっての正解、正論かも知れないが 他者にもそれがあてはまるかどうかはわからない。


ただ自分なりの発信、主張に賛同を得る行為、そこまでなんだと思う。

何かに共感したり 何かを共有したり そんなとこ。

反論も あり。受け入れることも、である。


アメリカも大統領選挙において 分断をより明確化した。

日本も同じ。

こういう混沌とした中においては 色んな主義、主張がごったがえす様相になる。

それを表現し 一つの波にまで大きくできるSNSというのは 私からするとある意味、諸刃の刃 というところだろうか。


大事な小さな声が聞こえる し とんでもない声が大きくアナウンスもされる。


一つだけ言えることがあるとするなら


しっかりと本質を見極めること。惑わされることなく。


こんなとこなのかな。 


また ^^