コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

「よくわからない世界になりつつない?」^^;

任命しません。


に色めきたつ評論家さん達。ザワつく世間。ってな感じ?


最終任命権は総理大臣にある、ならそれはそれで、と私は思う。

権利を行使しただけ。じゃないの?

前例はないらしいけど。


何がわからない、と言ってまだ説明が行われた訳ではない、現時点では。

どんな背景が 理由がそこにあるかなんてのはわからない。

その上に 「人事に関しての説明」というのは中々に微妙なところってない?

を感じるところ。


私達は 最終的に納得できないなら選挙で NO という意思を選択できる。

勿論たかが一票でしかない、じゃないと思われる方もいるだろうが されど一票である。

その一票の積み重ねでしか数はでない、というのもまた事実。


どう自分の中で判断し そこに意識を持っていけるか、だと思う。


背景、理由を知らないで 表面に「今見えていること、だけ」で判断するのは早計じゃない?


見えないものを見に行く、憶測して計る、っていう最近の風潮にどこか違和感を覚えている。


最近増えている芸能人の方の自殺の取り扱い方に関しても同様。


その背景、そこに至った理由等 押し測る理由はどこにあるんだろう、と不思議感さえある。

解き明かされることなんてない。


もういないんだから。


あるのは 喪失感だけ。あ〜もうあの方の作品は見えなくなったんだ、という。


そこに至った理由、背景を 推理、推測する行為に何の意味、があるのかが私にはわからない。し 知りたくもない。

ましてや家族に話しを聞きに行く?、ありえなくネ。


何とかできなかった人にあるのは以前 だいぶ前だが投稿してるように悔恨だけ、が残る。もうあれから40年以上経っているが消えることなんてのはない。

何を答えれるのか、何を答えさせたいのか、わからん。


報道番組では一連の流れとして 命の電話へと進み一人で思い悩む前に電話を、と呼びかける。これがいわゆるセットになっている。

その報道に意味を持たせる為にか?を感じる。


以前なら自殺報道には自主規制を設けていて詳細は報道されなかった、はず。

私の記憶違いでなければ、だが。


思い悩んでいる、切羽詰まっている方への一つの選択肢の提供、じゃない?

からだった、と理解している。


報道姿勢、倫理は変わってきつつあるんだろうか、時代の変遷とともに。

価値観の変化とともに。


確かに 今の時代欲しいと思う情報はインターネットの普及とともに イトモカンタンニ 手に入る時代になった。

欲しいと思わない情報でさえ溢れかえっている。

情報過多になっている。といっていい。特に私のような世代からしたら。


溢れかえる情報の中には 真実を伝えるものもあればフェイクニュースだってある。

悪意を持った発信だってある。

勿論 心が暖まるもの、癒やされるものだってある。

いろんな情報が「一つの世界の中」にある。


その中で試されるのはやはり「個としての自分」なんじゃないかな、としか思えない。

流されない自分、煽られない自分、もっと言うなら自分の「確立」

強い個、これって今の時代に必要な要素になってきているよね、を感じる。


同調圧力だの、全体主義だの、とニュースの中に躍る文字。


違うんじゃね、と感じる自己中宣言をしている私。

それもちょっと違うんじゃネ? と感じたあなた、そうかもね、確かに(笑)

だけど我が道をいく、で良いと思ってる私。


私の人生、なんだから。違う?(笑)


また ^^


始まっちゃったよ 〜今週が。

最近ちょっと生活を変えたから 中々に忙しい。

っつっても大した変化ではないんだが・・・