「悲しいだけのエンディングにしてはならない」
「全ての物語がハッピーエンディングにはならない。」
悲しいことだがこれは現実である。
5月23日未明一人の夢を追いかけていた方が亡くなった。若干22歳でその生涯を自分で閉ざした。
彼女を追い詰めたのはSNS上での誹謗、中傷にあるのでは、と推測されている。
「死ね、気持ち悪い、消えろ。
今までずっと一番私に思ってました。」
この言葉から私が感じることは 何故彼女はいろんな場所に飛び込んでいったのかと言えば『探したかった自分の存在意義、存在価値』であったのでは、ということです。
人が生きることに対して必要なことは自分の存在価値であり存在意義だと思います。
だから生きられる、生きていて良いんだよね、になるような気がします。
そこがあるからこそ・・・というような。
これを読んで私には当てはまらないな。と思う方はいるはずです。
先ずそんなこと考えないから。いや 考えたことない、かな。
それをしなくても生きていけるから。
日々の暮らしの中で精一杯生きてます。
仕事に追われる毎日 頑張ってます、精一杯。
ですよね。
でもそれなら何故数あるSNS上で投稿をする方が多いのでしょうか。
ナイスを求めて。誰かの承認を求めて。
ここに存在する『承認欲求』 まさにこれは『自己存在価値の確認』ですよね。
誰かと繋がりたい、繋がっていたい、誰かに認めてもらいたい=自分が存在する意味が、価値がそこにある。
だからその数が多ければ多い程自分の価値があるんだ、いていいんだという素直な喜びに変わるんだと思われませんか。
私はそう思います。
これはSNSが無い私達昭和世代にもありました。
何とはなしに憧れた旅行代理店のキャッチコピー「自分探しの旅」
今考えると懐かしささえありますが。
行きました、が見つからない。楽しかった~で終わる。
年齢を重ねてくるとわかってくる。
自分の中で見つけるべきモノだと。
このコロナ禍でも見られる日本人の持つ「同調圧力」
良い面もあるし 悪い面も表面に出てきている。
SNS上で二つの例が見られた。
一つは政治を動かした。
一つは自粛警察を生んだ。
この流れの中で起こった、起こってしまった悲しい結末。
世界でも同様な傾向は見受けられる。
韓国では「指の殺人」として去年ク・ハラさんが亡くなられたのは記憶に新しいことですよね。
何となく流れに乗って挙げたツイート。なのかも知れない。
だが 悪いことをしてるかな、という意識はあったはず。
削除されているという事実がそれを証明している。
法的な規制が検討されるらしい。
だが法的な規制には常に裏表が出るのは歴史が証明しています。
プライバシーという難しい領域に触れることになるから。
だが何かは造り出して欲しい、と思います。
悲しい物語だとしてもそこに「救い」は必要であり 亡くなられた方の「命の価値」としてそこに「何かしら」のモノが用意されなくてはならない、と思う。
時間の経過の中で忘れ去ってよい出来事ではない。
いつでもまた起こり得ることだ、と思うからです。
社会には見た目ではわからない人が数多くいます。
器用な方もいれば不器用な方もいます。
どう自分を表現していいのか どう社会と交わりを持てばいいのか、に人知れず苦悩している方も少なからずいます。
自分の価値観で相手を推し量るのではなく 想像力の中で思いやれる社会を試されているのだと思います。
ともう一つ。
今 私が危惧することがあって このコロナ禍の中で 絶望感を持っている方が色んなところにいると確信しています。
日本人は我慢強い人種であり 道徳心も強い。
それが裏目に出ることも少なくない。
どうしようもないならSOSを発信するのは何ら恥ずかしいことではない。
寧ろ発信するべき、日本人の権利を履行するべきです。
日本は生活保護が保証されている国です。
この緊急時にプライドは必要ない。断じて。
一時的に避難するのはある意味当たり前です。その場所は用意されているのだから。
もし貴方の回りにいれば貴方がその人に代わって声を上げてください。
高校時代に私の仲の良い女の子が自殺をした経験を私は持っています。
自分は近い存在であったと自分で思っていたことは完全に裏切られた、そんな存在でしかなかった自分に満足していた自分に幻滅した記憶は未だに消えるものではない。
悔恨そして懺悔しか残らないんです 知らなかった自分は。何も出来なかった自分は。
感じてください、残されたモノは その思いを持ち続けます。
一言でいい。
言葉をかけてくれていたら・・・そんな思い。何が出来たかはわからない。
でも 何かを発信して欲しかった。これだけは間違いなく残ります。
出しましょう いや出さなきゃいけない 一言。何でもいい。誰かに。
気をつけましょう 誰かの何気ない、何時もと違う一言に。助けを求めているのかも という想像力を持って。
こんな時だから、こんな時こそ。何てのを感じます。
また
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