コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

「また一つ悲しい決定が?・・・」

「努力は報われる。汗は嘘をつかない。」


よく使われる言葉である。


が この言葉はこのコロナ禍の今は通用しないようだ、悲しいかな。


今 高校3年生の子供達が受ける傷の大きさを想像したら いや、それは当人達にしかわからないんだろうな、と思います。


春の夢舞台 センバツは消えた。 そして夏の夢舞台 甲子園 消えそうになっている。


球児だけではない。


ありとあらゆる大会が消えた。消えそうになっている。


それは「一つの節目が無くなる。」ということに繋がる。

今までつらいトレーニングをしてきた「時間」であり 積み重ねてきた「経験」であったり 仲間との「想い」を発表する「場所」が無くなった。無くなりそうである。


そこに大事なのは単なる勝ち負けではない。


やりきった、或いは 終わった、という一つの節目を持ってして どう次に向かうのか、どういった選択をするのか、そこがあるからこそ気持ちを切り替えれる、思考を始めようとする。


この節目が持つ意味は「一つの終わりであり それは同時に次へのスタートである。」


それが消えた。消えそうになっている。


大人達は言う。

「今は悲しいだろうが それも一つの思い出になる。」

「教育の一貫であるから。」


確かにそうかも知れないし 多分そうなる、いや 違うな、「そうするしかない。」

彼らに他の選択肢は与えられないのだから。


何かの声をかけたい、のはわかります。

が 私達大人が今 できるのは『そっと見守るだけ、彼らが自分の中で何とかこの現実を消化できるまで』 これしかないんじゃないのかな、なんて思います。


頑張っている人に「頑張って」というエールは言われた方からすると 頑張ってるつもりなのに「もっと頑張らなきゃいけないの?」になる、相手を追い込むことにも時としてなりえる。


今いるコロナウィルス。

様々なことを私達に試してきています。

人としてのあり方であったり 社会のあり方であったり リーダーとしてのあり方であったり。


「思いやりの方法」というものまで試されているような気もします。


こういう機会だからこそ 色々なことが より鮮明に見えるのかもしれません。

ならば この経験からどんなことを学ぶのか。学べるのか。

それも試されるのかも。



また^^