コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

「続? SNSの近未来 って程のことは書いてない(笑)」^^

賛否両論あり? そゆもん ^^


っていう昨日の更新。

自分が楽しめる空間で どう楽しむか?

やりたい、と思ってることを、どうやるか?


勿論何らかの思惑を持って、も あり、否定されるものでは無い。どう使うか、ってのは自由、それは個人に委ねられている。


ただ自由、ってのは 意外に難しい。

選択肢が広がるから、これもまた事実。


例えば 夏休みの宿題が「自由」研究 or カブト虫さんの生態 って考えたら ・・・

いや、カブト虫さんいないんですが。 見なくなったよね〜 確かにこの辺りで 昔なら って ちゃうがな(笑)

サーセン 例えが悪かった、認める。


自由研究 or ひまわりの生育日記 だとしたら 制約があった方が楽じゃない? やる側からしたら。

まぁやらせる先生にしても、だろうけど。

いやいや、そうなると生徒の自主性が〜 ここは任せますか、児童に。で 何やんのよ で悩む児童 こんな感じ?


ね、意外に難しい自由、っていう括り。

わかるような、わからないような だけど(笑)


自由に漏れなくついてくるのが では、どこまで っての。これも個人の判断に、ってなるともうその線引きは 個人によって変わるし、誰かに追随しちゃう人だって出てきちゃう。

赤信号皆んなで、的な ^^


言論の自由、とか 昨今流行りの言葉になった多様性、それは価値観であったり 生き方であったり と多種多様 まさに多様 色んなこと、要素を含んでいる。


より難しいがな、難しくネ? になってきているのを実感しない?

その「場」を提供している一つが SNS、ってこと。

その性質上 そうなる、ならざるを得ない。


このSNSってのは 諸刃の刃。


今までなら ヒッソリと表に出てこなかったコト、が出てくるようになった。

例えば某国で独裁的なことが行われていた、としても世界が知ることは無かった、はず。

闇に隠れてやってたことが白日の下に晒されることも無かった、はず。

そんな事が一つのSNSへの投稿をキッカケに一大センセーショナルな事態を呼び起こし、政権がひっくり返る可能性だってある、改めて知る、なんてことは日常茶飯事。

小さな声を出せるようにもなった。


反面 一つの発信に、出来事に誹謗中傷が集まって、なんて例は半端ない。

追い詰められる方だっている。

偏った考え方、フェイクニュースで煽る方々だって「普通に」現れちゃう。


そこに一定の常識とマナーを持って、なんてのは所詮絵に描いた餅。

正論だけど、じゃぁ  の答えには中々たどり着けない。

それこそが「自由」であるから。いい意味でも悪い意味でも。


これこそが「自由の本質」


まだ成熟してない、と言えばそれまで。

一つの文化が成熟するのには時間が掛かる、というのは歴史が証明している。

ネット空間なんてのは まだ出来てから間がないんだから。


ヤフーのコメント欄が、一定数以上の誹謗中傷を認知した場合閲覧出来なくなるようになった、のも最近のニュース。

一つの取り組みの現れ。


どう言った未来になるのかは、プラットフォーマーが、若しくは国とかが どんな規制を掛けていくのか、そんなとこなんだろう。


何で国が、というのも重要なとこで 「新たな価値観」をそこで作りかねられないから。

国が目指すべき、若しくは目指そうとしているモノとは違った価値観をそこで作られる可能性だってあるから。

力を持つ者からみた「不都合な価値観」ってやつ。


いろんなプラスマイナスの中で じゃぁ何処に向かうか?  確かに 枠を掛けて貰った方が、はあるにしても 反面手放す自由 これは避けて通れないモノ。

つまらなくなった? つまらなくなるモノ になる可能性もあるよね。


まぁそれも自分達で創っていく、若しくは 型にはめられていくSNSの未来図。

そういうことかな? 

どうなってくんだろ。


もしかしたら 今が一番自由なのかも、ね。

こんな時代もありました〜 なんて後世のワイドショーなんかで語られる、的な。


いるのかな その時に? そらジローは は、関係ないか(笑)


また ^^