「煽ってみるか」(^_-)
「感染爆発」朝日新聞に踊る文字 きちゃったのね そこまで ^^
まぁそう表現しても納得感あり、かな 私的には。
連日更新される過去最多数、重症者数、未だ見えないピークアウト となるとそうなるか、って感じ?!
選ぶ言葉で伝わるニュアンスは変わる。どこに視点を当てて伝えるか、で与える印象は変わる。
例えば ワイドショーで伝えられる内容、どこに視点を当てるのかで受け取る側(視聴者)が持つ印象は変わるし 変えられる可能性を秘めている。
「正義の反対は正義である」とも言われるように、どちら側に立ってどう伝えるか によって見方は、捉われ方は180度変わりかねない、ということ。
メディアが持つ力の強大さの証明であり 他方怖さでもある。
こういったメディアに対して 屡々使われる「煽っている」という表現。
時にそうやなだし 時にそうとも思わない。
要は視聴率の世界にいる、のがその本質。そりゃ数字を取る為に、ってのはあるだろう。
が 他方ネットと違ってフェイク(嘘)は無い、のも事実 これは忘れちゃいけないポイント。裏をしっかり取っている内容であるという点。
そんなことがあった時に番組は成り立たなくなるし、その責任はまちがいなく追及を受ける。
決定的にネットとは違うところ。
必要以上の危機感を煽っている、ということなんだろうが そこに危機は無いのか、なら ある、であり そこに付いている「必要以上の」ということになるんだろうが 危機管理の原則は 最悪を想定して、である。 ここね。
であるなら 煽っている、のは的外れな事では無い。
そこに見えている、想定される最悪なことに対してのコメント しかも専門家の方々の見解が聴ける、その脅威が秘める真の姿を考えさせてもらえる可能性があるということだからそれはあり、で良し じゃない?
煽っている、という理由を持って排除すべきモノ、一聴にも値しないモノに入れられることにはならないと思うし そこに反論をぶつけてもその問題解決には結びつかない。不毛な議論じゃない、それ?
ワクチン接種で重症化率が、とか感染者数が に期待してたのは解る。そうなって欲しい、と現実の違い 弱毒化していく、に期待して、も解る。そうなって欲しい、と今ある現実との違い 絶対なんてのは無い。学ぶべきはここ。
知らなきゃいけないのはその知識の正確なアップデート。現在地の正確な状況分析、そこから導き出す近未来への想像力。
これは仕事でも同じ。普段やってること、のはず。
延長線上のことである。
もはや緊急事態宣言という言葉にその字ヅラ程のインパクトは無い。
何回か書いてきてること。
オオカミ少年の逸話と一緒 来たよ、来たよと何回も出されたら もう大したことないよね、になる心理。
緊急事態が日常になった今 ホントにヤバくない? の意識は共有されない。
1月に出た2000人超えに恐怖感を覚えた社会が 今の4000人超えにそれは覚えない。出るんやろな、に出てきた数字 想定内なら心の準備は出来ている。ここが大きな違い。え〜 じゃなくて あ〜 こんな感じ。
社会の引き金を引いたのは 高齢者のワクチン接種。
一番危ない、とされる層に行き渡ったワクチン。なら 動いても良いかな?
に動き出す社会。 そこへ五輪開催。浮かれるわな、そりゃ だし テレビで観てろ に なんでやねん。そりゃそうなるわな わかる ^^
そんな今日 分科会提言が発出されるらしい。
5割減を、がメインになるようだが激的な効果はでないんじゃない?!
社会の雰囲気を見た時に受け入れられそうな、真剣に取り組まなきゃに変わるとは思えない。何割かの人に届くのが精一杯かな。
で その何割かの人の殆どは今も一生懸命取り組んでる人なんだろう。
私なんかがそう思うぐらいだから無理っぽくない?と感じる訳だが 次の一手 用意してんのかな、に出てくる不安。
無いんだろな〜 と感じるのがツラいとこ。
またお茶を濁したようなヌルいいつもの展開?! が待っていそう。
無いのは覚悟 これも何回か書いてきてる。
変わんない国民に苛つくリーダーと言われる方々、先ず変わってくんないかな、はそちら側。じゃない?!
我々も我慢の限界なんだが、 と煽ってみる(笑)
まぁ何も無いお盆だから構わないんだけど ジワジワと包囲網が縮まってきてるようで嫌な感じ。
何とはない閉塞感 行くか〜旅行 にはなり得ない。真夏の大冒険 は、命懸けになりかねない ^^
ね〜の 何かパ〜と出来ること。
逝っちゃうな こりゃメンタルが先に。いや 体力か(笑)
また ^^
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