コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

一期一会^^

「一期一会」


私の好きな言葉の一つです。


私は運命論者、という表現でよいのかな? 偶然というものは無くて 全ての物事は必然であるという考えの持ち主です。


そして 起きた事、起きる事には 何かの意味がある、とも思っています。


世界には 沢山の人がいて たかが何十年という人生の中で触れあう、触れ合える人は限られています。


電車の中 隣にたまたま立っている人と 「出会った」という人はいないと思います。

出会う、知り合うには 何かしらのキッカケ 「縁」がある人と、ということですよね。


そこに偶然という言葉では表せない 絶対的な 「何か」の存在を感じますし、それを私は必然と捉えます。

ある人はそれを「神」と表現するだろうし ある人は「運命」という表現をするのかも知れない。

それはその人の持つ感性の中で表現が変わるだけで同一のものなんじゃないかな、と思います。


同様に 何かが起こることにも それを感じます。

人生には様々なことが起こります。

楽しいこと、悲しいこと、寂しいこと。


そこにはそうなる理由が、意味があるんじゃないかと思います。

そこで立ち止まって それが意味するもの そのメッセージはなんだろうと考えてみます。


それは 時に警鐘で あったり 祝福であったり 時には激励であったりということかな。


その中で 私が大事にしたいと思うのは いや気をつけている、という方が適切かな

先ず全てを素直に受け入れる、ということです。


神の言葉に 「子供に学びなさい」というのがあります。


何故 子供に?と思われるかもしれませんね。


子供は全てを素直に受け入れるからだ、と私は思っています。

悪いことを教えると悪いことをします。良いことを教えると良いことをします。

それは受け入れて それをそのままに行動に移すから。


人は 大人になると、なるにつれて イロイロな衣を纏っていきます。

要らない過剰な自尊心であったり 虚栄心であったり。

素直に、というのが知識、経験を積むことで逆に難しくなっていくという不思議。


一度纏ってしまうと 中々脱げない。本能的な怖さから。

そういう意味では 弱い生き物なのかもしれませんね。

それを中々理解しきれてない、受け入れたくない?

これかな 本音は。


こんな歳になっても 未だ見えないものが多すぎて。

見えないものを信じる。


これも聖書の一節にあったような。



今日は 何故かこんな感じ。

いつもと違うんじゃね?と思われた または良くわかんないんですけど かも知れない(笑)


いいんです。こういうのも私の一部ってことだから。


また^^