コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

「いろんな所でふと、拾う言葉に...」

センバツ優勝 山梨学院 おめでとうございます  ^^


そんな中で吉田監督が言われた言葉に、ふと考えさせられた。


「答え合わせができた」


という一節


今の時代 一つの問いにいろんな答えがある。

それが多様性  というモノ。


スルーしない、排除しない 例えそれが自分とはまるっきり違った価値観であっても、というコトに他ならない。


そんな中において 答え合わせができた、って言葉はある意味新鮮に私には響いた。


答え合わせ、の持つ意味は 正解があって それに照らし合わせるというコト。


中々に難しい問題であると言えない?


正解、は どこに? な、人生。

個人の価値観?では ないな。偏ってる可能性が否定できない。

世間の常識? でもないな。流されてる可能性が、同調圧力なんてのも考えられる。


例えばマスクしますか、しませんか論争。

付けなくてもいい、は 外せ  とはまた違ったニュアンスを秘めている。

そこに個人があって良いはず。

正解なんてのは、存在しない。


ルッキズム 見た目で、というモノ。

痩せ過ぎなモデルさんは NGという流れ。

美を求めるのは 人としてのサガ?ではあるが それも一つじゃぁないよ、という提示。 


正解、正解だったように思ってたコトが それだけでなく いろんな違った視点から また違った正解 答え、かな が導き出されてきている。  


ただそこらで 変わってきたコト、って言うのは...


誰もが生きやすい世の中になってく  を、目指してる そういうことなんだと思う。


と、しても 複雑になってかない?ならどーしろってぇの? という疑問が湧いてくる。


多分それは、ちょいと違う。


複雑化しそうな計算式でも解き方は、一緒。

どれだけ簡略化して シンプルに捉えるか、だと思う。


人として   相手をリスペクトする。それは見た目ではなくて。自分の価値観に照らし合わせるんじゃなくて。 そういう事なんだと思う     ^^


で、相手を思いやれるコト。

それは同情なんかではなくて。おしきせるモノでもなくて。


多分人生に於いては いろんな場面で 答え合わせは、必要なのかもな そんな事を この監督さんの言葉から考えさせられたので こんななんでもない?とりとめのない? 投稿挙げてみるわ    ん?いつも? 違うわ   たまにだけ 笑 


また        ^^