コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

「孤独感、との付き合い方 〜コロナ禍の中で〜」^^

春はあけぼの、夏は夜 じゃ秋は、と訊かれたら ん?何だったけ、な 人多し、いとをかし(笑)


ご存知 枕草子の一節。

秋は夕暮れ、ちなみに冬はつとめて ^^


春から湧くイメージは 希望であったり、別れと新しい出会い 寒かった朝が気持ちいいものに変わっていく、そんな気持ちを表している。


夏は夜がイイ。そやんな。ん?それだけ?(笑)

で、秋は夕暮れ。 趣きがある、ってとこ ^^


暑さも薄らいで 肌寒い日もある。長かった昼が夜長になっていく。 

気温的には春とは変わらない。が 気分が違う。


重いコート脱いで〜♫ は、キャンディーズ ちょっと古いかも、だが(笑) そこここに明るさがある。彩りがある。


夏から秋への移り変わりにあるのは物悲しさ、じゃない?!

今のコロナ禍と相まって奏でられるメロディーは哀しき旋律なんだろう、と思う。


夏が持つ華やかさからの季節の移行は、より寂しさを伴う。

祭りの後の寂しさにもどこか似ている。


この感染症がもたらした人との距離感は 知らず識らずの内に心に影を落とした。

染みる孤独感は時に絶望にも結びつく可能性を秘めている。


これからの肌寒しいシーズンの訪れは、より孤独感を深めることもあるんだと感じる私。

それがブログの世界にも見てとれる。


もう限界点は近いのかもしれないな そんな気がする。


元来 人という生き物は集団生活を基本としている。

強い生き物ではない。

生き残る為に発達した知能が生存を可能にしてきただけ。

その原点は、DNAに書き込まれているのは集団での生活にある。

集団の中の自分、が基本になる。

だから本能的に誰かを求めるのは当たり前、当然である。


そこに割って入るウィルス、が今。

そりゃ悲鳴を上げるわな、心は。慣れるはずもない。

そこにあるのは本能なんだから。


寂しいのはなぜかな、の答えがここにある。

孤独感の正体がここにある。


以前にも書いたけど あげてくださいね、声を ^^

アナタが思ってるほどアナタは強くない。

アナタが思ってるほどアナタは孤独じゃない。


偶に訊かれることがあって 私は孤独に強い人、だと周りに思われている(笑)

私からしたら 強い、とは思ってなくて まぁこんなキャラだから寂しいよ〜 なんて声を上げるのは朝飯前 って表現で良いのかどうかなんてのはなんちゃない。 恥ずかしいことでも何でもない。

何故って それは普通なことなんだから、がある ^^


楽に生きる、この中の一つにあるのは素直な自分 これ ^^

要らないプライド、要らない羞恥心、要らない優越感 いろんな要らないモノ、がある。


捨てられないからこそ見えない、見えなくなるモノ は実は一杯あって、それが生き難くする。自分を追い詰めていく。


取っ払っちゃえばイイ、そんなモノは。


それが出来たら苦労はないのよ、と呟いたアナタ。わかる ^^

それは何で?! を自分自身に問うてみたらイイ。チャンスの扉は今 開かれたから(笑)


真摯に裸の自分と向き合えるか、どうか そこだけ。


叩けよ、さらば開かれる は、聖書の一節。

他人の門を叩くんじゃなくて 人はこれを好むが実は叩くのは自分の内なる門、寧ろこっちが重要。


ほとんどの問題は自分の内なるモノ、内から産まれるモノ。

これは一つの真理、これも、かな ^^


ウソだと思うなら あげてみればイイ。内なる声を外に。素直に。隠さずに。

応えてくれる人はいるはず。


いなかったらあげ続ければ良い、誰かが気づいてくれるまで。

新しい出会いがそこにある。


そんなもんじゃない?!


また ^^

良い夜を ・・・