「記憶にございません!」
一昔前の政治家がやらかしちゃった時の台詞だ。
無いの?記憶に?
だったが 昨今はどうも変わってきたらしい。
今の流行り ? は 「捜査に支障がでる為にお答え出来ません。」と「時がきたら説明させて頂きます。」の 豪華二本立てだ。
真実を語るのに 支障が出ることは 何も無い。なら今しても後にしても同じだ。逆に後になった方が難しくないかい? と思うのは私だけ?
以前 この国の政治のパロディは必要無い、何故ならやってることがパロディだから。と書いた。
記憶にある方もいるだろう。
繰り返される茶番劇。変わるのはキャスト(配役)だけ。
若者層が 選挙に行かない、と言われて久しい。
当然だろう。
何を基準に選ぶの? が見えない。
それは どの世代でもある意味変わらない。
ゴタつく政府与党 自民党 のはずだが何故か上がる支持率?
押す理由第一は 他の政党よりましだから。
これって 凄い理由ですよね。
ましって(笑)
これが海外なら ショボイ? 野党の支持率も下がる。
何をやってるの、アンタとこも。の批判が上がるから。
それも無い。低め安定。
とりあえず色んな理由をつけて 引っ付いたり離れたり。
そりゃ怖れるに足らず、の域は出ないわな。が見えちゃう。
政府与党の失点を追求する、というのも必要なんだろう。
だけれども 期待したいのは そんな次元の話しではなくて 今の時代から未来に向けての 「明確なる選択肢」の確立だ。
激動する世界、社会 その中で 日本という国の未来図をどう描いていくか、のビジョンを見せて欲しいと思う。
そんな議論なら見るだろう。少なくとも私なら見る。見たいと思う。
最近のCMで好きなフレーズがある。
トヨタイムズ そうトヨタのCM。
社長が 未来の人の為にチョイスを! という言葉。
私達世代はもう今の時代の中で 中心的な役割は取れない。
ある意味 邪魔なのかも知れない。
感性にしても 考え方にしても 今の世代とは異なるものであるから。
その中でまだ何かの役割を持つ、というなら未来の人に伝えること、もう一つがチョイス(選択肢)を残すことでは無いか、と思う。
選択肢 という言葉。
字の如く 選択出来る環境を作る、ということである。
後は 未来に生きる人が決めていけばいい。
私達は 存在しないのだから。
さて ・・ この選択出来る対極に位置するもの 果たしてどこで いつ 出来るんだろう。
時間は余り残されていないような気がするのは 私だけ?
なんて事を ニュース見ながらふと考えた。
また^^