コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

「母の日の遠い記憶」^^

コウスケ爺

明日か〜母の日。


何歳になっても、母が亡くなってからも特別な日であることに変わりはない。

母、という存在はやはり特別な何か、がある。

それは悪いけど父では勝てない(笑)


私の中の母はいつも働いている。

幼い時からそれは変わらない。


私の父は子どもを可愛がる、というところからは多分一番遠かった人だったと思う。

まぁいわゆるギャンブラーだったから姉も私も可愛がられた、という記憶は存在しない。

当時それは私達にとっては普通だったからなんてことはない。

そういうもんだ、程度。


日常茶飯事に起こる夫婦喧嘩に知らないフリをする姉弟、そんな日常。

と書くと不幸そうに感じられるかも知れないが そんな暗さ、は無かった。

明るかったから ウチの母親が。

お嬢様育ちだったからかどうかはわからないが 兎に角明るかった。


何も言われた記憶が無いし。

高校時代に謹慎処分を食らった私だが 何も言われなかった。

ひたすら謝っている母に何やってんの、俺は から大学受験に燃えた私

大学合格で燃え尽きたが(笑)


まぁ他にもあんなこんなで頭は上がんなかったな〜。


親父とは直らないギャンブラー体質に愛想を尽かして三行半ってやつ? 別れちゃった訳だが私達にはあまり関係は無かったかな。


別れた後はより楽しそうにしてたから 良し。悪くない。


私は、っていうと別れた後ちょっとしたらひたすら海外駐在で日本にはいなかった。

だからあまり母と過ごしたか、って聞かれたらそうでもない。

姉と一緒に住んでたから姉との時間が殆ど。


海外駐在で酒池肉林の あっ(笑) 現地で頑張ってる私だし 当時今みたいなLINEとかMessengerなんてのはない時代だから母と話そうなんてしようもんなら分単位でお金がチャリンチャリン落ちていく。


を言い訳に (笑) 滅多に話すことなんてなかった。

そんなある時タマタマ日本で打ち合わせがあって帰国することになり 帰国3日後に控える「母の日」に思い立つ私。


これは何かしなくちゃ とするとカーネーションか? いやいやいやそれでも喜んでくれる、という確信 いや、何でも喜んでくれる確信はあったが 枯れちゃうものじゃないよね、長く使えるものか、残るものじゃないと、の思考に耽る私。


ポクポクポク チーン いや一休さん? は 良しとして 思い立ったのは補聴器。


そういやこの間 かなり前だが 電話で話した時に聴きづらそうにしてたよな、にヒントを得た私。

買ってきました〜、で渡しました〜。泣かれちゃったし・・・ ^^


半端ない喜ばれ方で恐縮する私。

それは姉に対して。

姉が母にいつも気を使っているのは知っている。


この いつも、とタマに、という私との差。

喜ばれ方としたら私の方に軍配が上がっちゃう。

何故なら たまに、のことだからスペシャル感が違っちゃうわけで。


何となくギクシャクする姉弟感。

母には見せないが。


母の日、っていうと思い出される遠い日の記憶。

あの笑顔は忘れない。

楽になってるんなら良いよな〜である。


もう一回産まれるとしたら またあのお母さんがいいな、と思う。

お母さんは嫌がるかも、だが(笑)


母の日、って言っても対象になる母はもういない。

だけど 遠い記憶の中にある母を思い起こすキッカケにはなるのかも。


悪くはないな と思う私がここにいる。


また こんな時だからこそ皆さんが良い母の日を過ごされますように ^^

うん 母は偉大だ、ホントに。