コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

阿波踊り^^

いや~ホントに気持ち良い天気。

こんな日はヤッパ ブログの更新かな。 っておかしくネ(笑)


今日は朝から私が読者登録してる方が挙げた更新記事に驚いた。

何でかっていうと以前 私が海外に出る前によく友人達と出掛けてた街だったから。


いや~懐かしい風景。


まだあるんだあの店 大将元気にしてるかな、とか新しい店も。時の流れを感じるのと一緒にあの頃の思い出が久しぶりに蘇った。


感謝 ^^


私はナイス!してくれた方のとこには基本的にお邪魔します。

えっ知ってる? ばれてるか~。


単にどういう方がナイス!してくれたんだろう、という好奇心からなんですが そこで思うことって流石はネットの世界 そこは青森の方だったり、広島の方だったり、と全国的な広がりを持つんだなってこと。


で 読者登録させて頂いてるわけですが・・


知らないところからの便り、知らないことを知るみたいな 新鮮さ、って言えばいいのかな このブログという世界を通じて 違った景色が広がるような気がしてます。

行ってみたくなるし、旅心を誘われる。

或いは刺激を受ける。といった。


最近ナイスしてくれた方のとこにお邪魔したら徳島の方だった。

私 高校まで徳島は鳴門市に住んでまして 何かわかんないんですけど徳島の方 阿波弁という響きが嬉しかった、懐かしかった。


まぁ私の住んでた時代はというと ワカメと渦潮と阿波踊り 以上、終わり(笑)

大学で大阪に出てから帰ってないのでもう40年か~。

変わってるんだろうな、街並みも。

どうしてるかな、当時のワル友達は。

改造バイクで走りまわってたけど もういい歳だから丸くなってんだろうな~なんて想像がつかないな。


当時の思い出の一つに体育祭がある。

憧れのあの娘に近づきた・・ じゃなくて 何故か必修項目だった「阿波踊り」


先生曰く 徳島県人たるもの阿波踊りは必須、出来て当たり前。だと。

何回も駄目だしを受けて かなりの時間を費やしてやっと身体に染み込ませた。


この場を借りて言います。


大学いっても 会社に入って 出身地は徳島です。と言っても あ~徳島出身か~ じゃぁ 阿波踊り 踊れる? と言われたことって一回もなかったんですけど。まぁないよね。

返せ、あの時間 (笑)


まぁ 何にでも楽しめた時間 だったのかもしれないな、と思う 今となれば。


また^^

さて・・・私の中の今年の10大ニュースなぞ^^

寒っ ・・・^_^||


昨日の暖かさから一変 うってかわってこの寒さ。

身体がついていかない、っていう。

外に出たくないかも。


もう金曜日 もう13日。

来週になると 街はクリスマス色に染まるんだろうし そこからは 行く年、来る年っていう慌ただしい時間になっていくんだろうな~。


ここからのテレビ番組というのも「今年の重大 いや10大ニュース、こっちか?」とかになって 今年一年を総括する感じなものが増えてきますよね。


私の個人的なイメージとしては令和という新元号に変わったことがトップに来るかな、ヤッパリ。

昭和生まれの私としたら平成という時代を経て 多分高い確率でここで終えるよね、の令和(笑)


但し全体的な雰囲気というなら 暗い印象のものが多かったような気がします。

あおり運転であったり 高齢者ドライバーに関するものであったり 子供の虐待死であったり 自然災害であったりと心が痛む出来事の印象が強すぎて明るいイメージはあまりない、感じない一年という総括をせざるを得ない、悲しいかな。


このブログを始めた、というのも下位ではあるけど 私の今年2019年を語る時のニュースにはなる。

仕事とはまた違った楽しみが出来た、ということで。

面白さを感じています。


後は ヤッパ one team かな。

以前のアップデートで書いたけど 日本中を熱狂に巻き込んだ 「桜の戦士達」。

全てを注ぎ込んだ闘いに彼等は勝利した、という結果。

平日にも関わらず集めた5万人パレード。

ありがとう に対する ありがとう。泣ける!


笑わない人はやはり笑わなかったのね、というオチ付きで(笑)


でもよくわかんないんですけど それもヒジョ~に良い! (ん? これは私のブログ読んでくれてる方なら既にお分かり? 例のやつで(笑) )



桜っていえば 昨日の菅官房長官のコメント。

聞いた記者もだけど そのコメントが 「桜という字は見たくない。」っていうのも ・・・なんだかな~。


外国だと政治のパロディが普通にあるんだけど 日本にはない。


何故か?


日本の場合 政治そのものが もうパロディになっているから するネタが 出来るネタが やる必要が・・・ない。というリアル。

これがもしかしたら トップに来るべきなのかも知れない?(笑)


また^^


ん? 10大ニュースなのに でてないよね 10個?

後のは ナイショ、ヒミツということで ^^

私の中の宗教論

昨日二つの出来事があった。


一つは ・・・ 部屋に住居人が一人増えた。

彼です。


名前は三太くん ん?違う? サンタくん こっちか ^^


これだけで私にしたら既にクリスマス気分・・ 安上がりじゃね?(笑)


いつまでだったかな サンタクロースさんは実在してると信じて枕元にデカイ靴下置いてたのは(笑)

天気が悪いとサンタクロースさん来られないかも、なんて子供心に心配してた頃が懐かしい。

小学生になったぐらいかな、友達に 「いないよ、サンタクロースさんなんて。」と言われて傷ついた、いや現実に戻された。


もう一つが ある人が発信したメッセージ。

宗教的なことだった。

このカテゴリーは中々に難しいと思う私です。


何ですが・・・


私なりにちょっと向き合ってみたいと思います。


迷える子羊が・・・なんていうつもりはサラサラありません。

それでは響かないよね。


先ず最初にわかって欲しいのが 人がたくさんいるように その捉え方は千差万別だ、ということだと思います。

何を意味するか、というと 完璧な答えはない、ということかな。


私の中で人が生きていく上で大事なことが四つあると思っています。


一つが 尊敬。

一つが 感謝。

一つが 愛。

一つが 優しさ。


これは法律ではない、ということが先ず一つ。

違反したとしても誰も罰しないでしょう。

例えば 両親の愛に対して 感謝がなかった、としても法には触れないということです。


概念的には その上に位置するものだと。


人が人と接する中でやってはいけないもの、やれば共同生活が保たれないもの、ことに対して 罰を与えるという行為で法律はあります。

が宗教というものは 人が人として生きることの指針になるべきものかと思います。


と言っても 私にしても盲目的にそれを信じるか、と言えば・・

それは ない、ということになります。


そこにはその人とその何か絶対的なもの(ある人は神と呼ぶだろうし、ある人は氏神様と呼ぶかもしれない。)との距離感だと思います。

盲目的に信じる、信じれる人もいるだろうし、私のように一歩下がったところから見ている、という人もいて当然だと思います。


他方 そう言いながらも 最後の最後に頼れる、頼りたい という存在が、最後に何かしらの納得が必要な時に それ は必要なんじゃないか? と思います。


所詮 人は弱い生き物です。


私の友人の子供が生まれて三ヶ月で亡くなりました。


現代の医学、医療技術を持ってしてもどうしようもない、という状況の中で何が出来るでしょうか。


『祈る』ことしかないんです。悲しいかな。


となると 誰に?が必要だと思いませんか?


そして ・・ その後 ありきたりな言葉でその喪失感を補うことは到底無理なことです。

その中で 出来ることは ・・ 行き場のない悲しみ、寂しさをせめて癒してくれる自分への言葉は?せめて納得させられる言葉は?


天国に召された。神様の元にいった。

辛かっただろう。でも 今は春の季節の中で幸せに暮らしているんじゃないかという『願い』、といった。


そういう『最後の拠り所』の存在が その絶対的なものが持つ力なんだろう、と思います。


これこそが神様の存在理由なんじゃないか、と思います。

そこに 出てくる『祈り』『願い』の相手をしてくれる、のが神様という存在なんじゃないか、なと私は思います。


今の私が書けることは この程度です。


先程も書きましたが 人の数ほど考え方、捉え方は変わります。

人生経験によっても 変わることもあるのが普通だと思います。

だから無理矢理信じる必要はありませんし、そこで迷う必要もないことだと思います。

何かの拍子に 出てくることもあるし、誰かとの出会いで見つけるのかも知れません。


それが 「悟り」なのかもしれませんね。


読み返してみたら ヤッパリ 「思います。」という表現が多いな、と。

抽象的な表現が多くなってわからない、というメッセージに対しての私のこの表現。


どうなのかな?


せめてヒントぐらいになってくれる、と良いなと思う。

一つの個人的な考え方、ぐらいに軽く捉えていただければ。


う~ん いつにも増して 訳のわからないアップデートなんじゃね(笑)

まぁこういうのも私だし。


ありきたりの一言を添えて God bless you (神のご加護を) ・・・


また^^