コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

「I can't breathe」

「8分46秒」


アメリカで今 一つの大きな波が起きている。

日本でもそのニュースは大きく報じられているのでご存知の方も多いかと思います。


しかし その内容に深く言及しているものは少なく 今回の抗議デモはそこに変わらない差別という歴史的な背景があり それは彼らの言葉に そして行動に意味が込められています。


報道が英語を訳してあることからそのニュアンスが和訳の仕方一つで違う意味にとらえられる可能性を秘めています。

日本でも悲しいかないくつかの放送局で見受けられるので 先ずその背景から書き始めたいと思います。


ことの発端は 2020年5月25日にミネアポリス近郊で起こった。

偽ドル札を使いタバコを買おうとした容疑者ジョージ・フロイド氏が白人警官によって拘束死させられる動画がSNSで拡散された。

これに抗議の声が上がり それは今やアメリカだけではなく世界中に広がりを見せている。これが表面上に出ている報道。


この抗議デモを語る上でキーワードになるのは二つ、そしてキーアクションになることが一つ。


キーアクションからすると 何故片膝をついているのか?


2016年アメリカンフットボール選手であるコリン・キャパニックさんが人種差別に抗議した行為からきています。


当時の警察による黒人への暴力に対して抗議を示すため試合での国歌斉唱の際に起立せず代わりに片膝をつく姿勢をとった。



彼のとった行動は当時一つのムーブメントを起こし そして今なお人々の記憶からは消えていない、ということです。


そして二つのキーワード。


「I can't breathe❨息ができない❩」


2014年ニューヨークでそれは起こった。

なんの罪も犯していないエリック・ガーナーさんがニューヨークの警官達に地面に押さえつけられて亡くなった。

彼の死の瞬間がSNSで全世界に拡散された、今回のように。


「I can't breathe」の言葉を遺して。


それ以来この言葉は人種差別に対する抗議を『象徴する』ものになった。


もう一つ。


「Black Lives Matter❨黒人の命は大切❩」


この言葉を和訳する際にしばしば❨黒人の命『も』大切❩という表現が見られる、がこの訳の仕方には私には違和感を覚えます。


文脈から考えると そしてその背景から考えるならば、『も』ではなく『は』であるべきだと感じます。


黒人の命も、というニュアンスはそこに既に黒人の人種差別を感じさせるから、です。

NHKさん 国営放送局であるならその使用する言葉にはニュアンスを大事に扱ってほしいな、と願います。

もう変わっているかも知れないが当初そう和訳されていた。

最近アニメも削除されましたし 軽く扱える題材では無い、と思います。


この「Black Lives Matter」に対比されて出てくるのが 


「All Lives Matter❨全ての命は大切❩」


アフリカ系だけでなく全人類の命が大切である、という主旨で使用されている。


が これはこの抗議デモの『本質』から離れているものでしかない。

 

私がいつも描きたいとしているものは その『本質』である。


この抗議デモの『本質とは?』


アフリカ系の人々がターゲットにされ迫害と人種差別の被害者になっていることに対してこの抗議デモは展開されている。

トランプ大統領もだが 


『問題の本質をすり替えてはならない。』


一部の暴徒化した人に転嫁して『平和的な抗議デモ』を『暴動』に置き換えてはならない。

その論理をもってして軍を使って『制圧』すべきものではない。


これがこの抗議デモにある背景です。


何故私がこの出来事を投稿したかったのか、はこのニュースの中には 今だけをとらえるのではなく そこにある言葉には そして行動には背景がある、意味がある、そして『変わらないという歴史』がある、ということを伝えたいということです。


確かに私達日本人が語るには無理が生じます。

肌感覚で知っていることでもない。

その歴史さえわからない。


であるなら 声をあげてはいけない、ということでしょうか。


以前 検察庁法改正案に抗議します。に何百万の投稿があがった。

芸能人の方も声をあげた。

それに対してかなりの批判が起こった。


今回もそれは繰り返されている。


芸能人は政治的な発言をするべきではない、というものであり 知らないくせに、解りもしないくせに、というものが多い。らしい。


この声に私は違和感を覚える。

なら 芸能人には声をあげる権利はないのだろうか、である。


声を上げた芸能人の方には『覚悟を持って』というのが感じられる。

安全を考えるなら知らないフリを決め込めばいいだけだ。

声をあげる必要性はどこにもない。


「声を上げて批判されることはあっても 声を上げなくて批判されることはない。」


違いますか?


ファンであるならば 何故自分が好きなあの人が声を上げたのか、上げずにいられなかったのか。

その『本質』に対して反応するべきなんじゃないか、と思います。


彼らからの発信に対して 先ずすべきことは 何故彼らがリスクを背負ってまで発信したのか? を知り、理解するべきだと思います。

その上で 何か言いたいことが 反論することがあるのならば 発信すればいい。

あなたも同じ覚悟を持って。


そこであなたが知ること、考えたことは きっかけになったその芸能人の方の覚悟からくるものです。

政治的なことであり 人種差別ということは根深いものであり その本質は中々捉えられ難い問題です。

だからといって なら黙っておこう、ではない芸能人の方 いや、一人間としての発信だと思います。


芸能人だから の枠があるから、という理由で自分の共感できるものに口を閉ざす

これもまた一つの「I can't breathe」になりませんか。


苦しんでいる人がそこにいる。

ならば 小さくてもいい 先ず声をあげる。

その小さな声が やがて大きな波になることがある。


今 そんな光景が広がっている。いや まだ広がりつつある、現在進行形。

この広がりの行きつく先は?


そこに『希望』が見えればいいな、と思います。このコロナ感染症と同じように。


また ・・・







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