コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

『天災 そして人災の狭間の中で....』

そこで鉢合わせしたら どんな空気感になるんだろう


そこ、は トルコであり シリア。

M7超え の地震により緊急事態な最中 今なお救援隊を、緊急支援物資の到着を待ち望んでいる。

そんな中 戦時中のウクライナから、そしてロシアからも救援隊の派遣が報道されている。


現地で もし鉢合わせしたら、どんな空気感になるんだろう。勿論 そこにあるのは緊急災害救助 今目の前で助けられる命を最優先に。それは分かる。派遣されている方々もその目的は同一である。


とはいえ  じゃないのかな。複雑な気持ちになるのが人としての普通な心理だと思う。


天災により亡くなられる方  人災により亡くなられる方  違いはあるが命が失われる、という意味においては同一。 前者は自然の脅威 これだけ進んだ科学に於いても予知できるものでもないモノ  他方後者は 防げるモノ でもある。


そこに違和感を持つのは私だけではないと思う。

その一つの命を助けに行こう、と思えるのなら その一つの命を奪いにいく行為を何故止められないのか、と。そのギャップに葛藤を覚えても不思議ではない。例え そこに何らかの理由はあるとしても。


世界から続々と救援隊の派遣が 勿論日本からも の、報道  一つになれるやん世界が。70カ国5309人が現地入り表明。


なら、何で この不毛な戦争は止められない?一つの方向にならない?なれない?んだろう。

そこにいろんな思惑が絡んでるから、 駆け引きがあるから に他ならないんだろうは推察するとしても。


とするなら 怖いのは天災よりも人災 いや、やっぱ人そのもの なのかもしれないな。


思惑、駆け引きというなら この地震被害はシリアでも。

欧米の経済制裁継続中のこの国への支援には後ろ向きな世界。その命の重さに差はないはずなのに。

投げかけられる課題も浮き彫りになった。

禍根を残すんだろうな。

何で こんな時でも  の想いは隠せない。


一刻も早く 助けられる命が一人でも多からん事を祈るぐらいしかない。

義援金送るぐらいしかない。

やっぱ無力だわ    ただ無力と言えどもやれる事はある。その想いが数になれば   それはちょいとした力になる、のかな  そこに期待  それが世界を変えることになれば..   なんてね


また  ....